人が生きていく上で一番大切なのものとは何か

僕が稽古している合気道は試合がありません。勝敗優劣巧拙を論じない武道です。競争がないから、門人たちは自分の意志で道場に来て、自分のペースで自己を錬磨します。

だから、「雨が降ってもやりが降っても、必ず道場に来い」と僕は言いません。逆です。「今日は何となく道場に行く気がしない」と思ったら、それは何らかの異変を体が感知していて「アラーム」が鳴っているということですから、それに従うほうがいい。

無理して道場に行くというのは、そのアラームを「オフ」にするということです。稽古中に怪我けがをするかもしれないし、言葉の行き違いで友達と仲たがいするかもしれない、行き帰りで思いがけないトラブルに巻き込まれるかもしれない。

写真=iStock.com/uladzimir_likman
※写真はイメージです

生きていく上で一番大切なのは、異変や危険に対するセンサーの感度を上げて、リスクが接近したらアラームが鳴動する仕組みを作り上げることです。

子供からゲームもスマホもマンガも取り上げるべき

そのためには「ノイズ」の多い環境に身を置いてはいけない。高刺激環境に置かれると、無意味な入力が多すぎるので、自衛のためにセンサーをオフにしてしまうからです。電車でよく見かけるニットキャップを目深にかぶり、耳にヘッドホンを付けて、スマホでゲームをしている子がいますよね。あれが「センサーをオフにしている」状態です。あれではどれほど危険なことが身に切迫してきても、直前まで反応できないでしょう。

子供は低刺激環境に置いておけば、必ずセンサーを働かせるようになります。娘が小学生の頃、なかなか家に帰ってこないので学校まで迎えにいったら、道ばたにしゃがんでじっと花を見ていました。しばらくすると立ち上がり、数歩歩いてまた別の花を見ている。観察しているというより、花にのめり込み、吸い込まれているような感じでした。主体と対象という境界が消えて、溶け合っている。「自然に出合うというのはこういうものだよな」と思いました。

養老孟司先生がよく言われるように、ゲームもスマホもマンガも取り上げて、自然の中に放り出しておけば、そのうち退屈した子供たちは何か観察対象を探し出す。植物を見る子、虫を見る子。雲や星や波を見る子もいる。自分で選んだ対象をじっと観察しているうちに、ランダムに見える変化の中に一定の法則性があることに気づくのです。

もう一つ、子供の能力を引き出すときに必要なのが「何もない空間」です。植物と同じで、芽が出るためには上に広がる空白が必要なんです。今の教育は、むりやり芽を引っ張り出したり、肥料を投与したり、室温を上げたりして、「芽が出る」ように誘導している。でも、芽が出る先にすでに「何か」があったら、本当の意味での「創造」は起きません。

ユダヤ教のカバラーの天地創造神話では、宇宙を満たしていた神が身を退けて、隙間を創ったことで世界が生まれたとされています。創造というのは「何か」を創ることではなく、「何もない空間」を創ることだというのがその教えです。超越的なもの、外部的なもの、まったく新しいものは「何もない空間」に到来する。あらゆる宗教がそう教えています。