哲学と合気道の共通点は「人間の力と知恵の最大化を追求すること」

「この分野をやっているのは自分しかいない」という専門性はそれなりの武器になります。以前、『ガンダム』を描いた安彦良和さんと対談したことがあります。どうして僕なんかにお声がかかったのかわからなかったのですが、安彦さんはそのとき『虹色のトロツキー』という漫画で、満州におけるユダヤ人問題と、登場人物の一人である合気道開祖・植芝盛平先生を描いていらした。日本でユダヤのことを研究している人は何千人もいます。合気道を修行している人は数十万人もいます。でも、「ユダヤと合気道の両方の専門家」となると、日本ではたぶん僕一人しかいない。二つの専門分野を掛け合わせると、「それは日本で自分しかいない」ということがあり得る。

『プレジデントFamily』2019秋号の特集は「東大生184人『頭のいい子』の育て方」。親の素顔、親がかけた言葉、小学生時代に読んだ本などを紹介している。

二つ以上の専門分野を持つことはそれぞれの専門領域での自分の活動を吟味する上で、たいへん有効です。僕は哲学や文学の研究におけるアイデアの適否をつねに道場で検証してきました。逆に、稽古がうまく進まないときには「人間について間違った理解をしている」というふうにフィードバックしてきました。

哲学も合気道も、突き詰めれば、「どうすれば人間の持つ生きる力と知恵を最大化できるのか」という課題に帰着します。たどる道は違いますが、目的地は同じです。だから、合気道の稽古中に、「レヴィナス(※)の言っていることはこれだったか!」という発見が生まれるし、レヴィナスを読んでいるうちに合気道の術理が腑に落ちることがある。長くやるほどに、この種の「気づき」の頻度は高まります。

※エマニュエル・レヴィナス。フランスの哲学者。内田氏の研究のメーンテーマ。

身体実感のある親の言葉が子供に染みるんです!

子供の頃、父は「人間の価値を決めるのは哲学だ」とよく言っていました。中国に20年近くいて、政府機関で働き、敗戦後も北京にとどまった人ですから、敗戦のときには、人に言えないような経験をしたはずです。日本の行政機関も軍隊も総崩れしたカオスの中では、組織内の地位や軍隊での階級や学歴などにはまったく意味がないことを実感したんでしょう。どんなに偉くても仲間を捨てて逃げ出す者もいるし、どんなに非力でも手を差し伸べてくれる人がいる。おそらくそのような経験を踏まえて、「学歴や地位で人を判断してはいけない。見るべきはその人がどんな哲学をもっているかだ」という言葉が出てきたのでしょう。

こちらは子供ですから「哲学」が何を意味している言葉なのかはわかりません。でも、実感を込めて語られた言葉は子供にも伝わる。

写真=iStock.com/Hakase_
※写真はイメージです

父親の影響なんでしょう、僕も人を見る時には、外形的なことよりも、「人間としてどれぐらいまっとうか」を基準にします。システムが瓦解するようなカオス的状況で、どれくらい正気を保っていられるか、どれくらい筋を通し、約束を守れるか、どれくらい礼儀正しくふるまえる人か、そういう点を見ます。

それほど親の影響というのは大きいものなんです。「子供をこう育てよう」という作意がなくても、親が筋の通った人生を生きていれば、子供も筋の通った人生を生きる。ふっと口にする言葉でも、リアルな身体実感の裏付けがあると、子供の体には刻み込まれる。それが蓄積されて「家風」が生まれる。

「やっぱりビールは冷えてないとな」でもいい。身体実感からにじみ出る言葉に子供は影響されるんです。家風は侮れないですよ。

(構成=柳橋 閑)
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