1951年の旧安保に「日本防衛義務」はなかった

いまから振り返ると、日本にとって悪くない話だったように思える。だが日本政府は、安保条約に「太平洋」という言葉が入るのをかたくなに拒んだ、「太平洋」が入ると日本政府が米国政府に、将来の憲法改正、また海外派兵を約束したように受け取られかねず、締結しても国会で批准されない、というのがその理由だった。

サンフランシスコ平和条約とともに1951年に締結された旧安保条約には、相互防衛の規定がなく、日本は米国に基地を貸すが、米国の日本防衛は米国の義務ではなかった。日本国内では、それは不公平だとの批判が高まり、1960年に条約が改定された際には、相互防衛の規定が設けられ、米国の日本防衛義務が明示された(現行の安保条約第5条)。

それはよかったのだが、相互防衛の範囲は米国が提案した「太平洋」ではなく、日本政府が受け入れ可能と判断した「日本の施政の下にある領域」になり、米国の日本防衛義務に対する日本の米国防衛義務は、日本に駐留する米軍の防衛に限られることになった。そうなると安保条約は今度は、日本が米国領土の防衛義務を負わない分、米国にとって不公平な条約に見えるようになる。

「安保条約は不公平だ」という批判に反論することは簡単

もちろん日本は、条約改定後も米国に基地を貸す義務を負い、実質的にはそれで、日米双方の義務のバランスがはかられたのはよく知られている通りである。しかし、こういう非対称なかたちの義務のバランスは双方に不満を生じさせやすい。

有事になれば、自国の若者に血のリスクを負わせてでも相手国を守ることを約束する側は、同じことをしてくれない相手を尊敬せず、その一方、有事も平時も基地を貸し続ける側は、相手が基地の価値、そしてそのコストと危険を十分理解していないのではないかと疑う、そういうことになりやすいからである。

私は、日米同盟の発展の歴史は、同盟の骨組みである安保条約におけるこの非対称な相互防衛協力を、さまざまな補助的取り決めによって補強し、日米双方に満足のいく相互性、また公平性の感覚を発展させることに努めてきた歴史だといえると思う。

そして実際にその努力は、かなりの成果を上げており、もしいまの日米同盟が、安保条約でいう「極東」の平和と安全のためだけの同盟であるならば、安保条約は不公平だという批判に反論することは割と簡単である。