「閉じられた葬式」は地方都市にも波及しつつある
いまの家族葬にあたる密葬は、かつては世間に死の事実を知られたくない場合に行われる「タブーな葬式」であった。何らかの“事故”に巻き込まれて亡くなったりするケースなどで、これはかなりレアである。ましてや、直葬を選択する人は、ほとんどいなかった。世間体もあって、葬式はちゃんとしたのである。
弔いの社会基盤もしっかりしていた。地域で、死者が出れば回覧板などでその死を告知するとともに、町内会が葬式を取り仕切ったものだ。慌ただしい遺族に替わって、会社関係、知人らが積極的に手伝いを申し出た。
だが、ここ10年ほどで葬式はがらりと形態を変えた。
先の調査のように、東京都心部では家族葬が全体の5割以上、直葬は3割以上を占めていると私は推測している。このような簡素な、「閉じられた葬式」はいま、中核都市に広がりを見せ、地方都市にも波及しつつある。
「コスト意識」が葬送が急激に簡素化している理由
なぜ、こんな急激に葬送が簡素化しているのだろうか。
要因は長寿化と核家族化、そしてマネーの問題である。長寿化は、それ自体は喜ばしいことだが、高齢者施設での生活が長引けば、地縁と血縁を分断させる。
参考までに、「死亡場所の推移」を紹介しよう。厚生労働省「人口動態調査」(平成29年)によれば、1955(昭和30)年には自宅死が77%、病院死が15%であった。それが1977(昭和52)年を境にして自宅死と病院死が逆転。現在では自宅死がわずか13%、病院や高齢者施設で死ぬ割合が85%となっている。
晩年、数年間でも高齢者施設に入れば、その人は地域社会の一員ではなくなってしまう。すると、遺族は地域の人を巻き込んで葬式を執り行うことを躊躇してしまう。
また、人々がコスト面を気にする傾向が葬式の簡素化につながっている。現在、葬送の担い手のコアは団塊世代(68~70歳)である。彼らは両親(90歳代)やきょうだい、さらに自分たち夫婦の葬式の準備に大わらわだ。
従来の一般葬の平均費用は150万円程度と言われる。今後、仮に5人の葬式の準備をしなければならないとすると、750万円以上もの費用が必要となる。老後資金が「公的年金以外に2000万円が必要」な時代だ。老後の蓄えに加え、さらに死後の費用を捻出するのは容易ではない。
葬儀社はそうした社会の葬送ニーズに合わせ、安価で簡素な葬式プランを打ち出す。遺族はパンフレットやネットなどで調べれば、価格表が出ていて、遺族が葬儀業者を選ぶ時代になっている。