琵琶湖に日本の宗教史上の重要な「聖域」がある
滋賀県に竹生(ちくぶ)島という離島がある。
勘のいい人ならば、「滋賀県は海に面していないのでは」と頭を傾げるかもしれない。その実、竹生島は琵琶湖の北部に浮かぶ周囲2kmほどの小島である。ちなみに東京・上野の不忍池(しのばずのいけ)の弁天島は、琵琶湖の竹生島を模して、江戸時代に造成されたものだ。
竹生島は、日本の宗教史を語るうえで、とても重要な聖域である。平安時代から江戸期まで続いた神仏習合の古態を今に残しているからだ。
日本の社寺は明治初期、神仏分離政策によって存続の危機に見舞われた。つまり、江戸時代までは寺院と神社はそれぞれの要素が混じり合った混交宗教の形態をとっていた。それを、「神は神」「仏は仏」と厳格に切り分けよ、という明治新政府の法令が出されたのだ。
この神仏分離政策は「廃仏毀釈」という寺院や仏像の破壊運動にもつながり、多くの寺が破壊された〔詳しくは、鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(文春新書)参照〕。廃仏毀釈がなければ日本の国宝は、現在の3倍はゆうにあっただろうと言われている。
今でも神と仏の共存関係を観察できる稀有な場所
しかし、ここ竹生島は、今でも神と仏の共存関係を観察することができる稀有な場所である。私は先日、この島を訪れる機会を得たので、少しリポートしてみようと思う。
福井県境にも近い湖西の長浜市今津。ここから島に渡る船が出ている。出航しておよそ30分。花こう岩の岩肌があらわになった島が眼前に現れた。奈良時代に僧行基が開いたと伝わる竹生島だ。現在、戸籍上の住民はゼロ。毎日、通いで寺院の僧侶、神社の神官、土産店店主らが島にやってくる。
弁財天を祭る神仏習合の宗教施設が造られたのは8世紀。弁財天とは、ヒンドゥー教の水の女神サラスバティを起源とする。日本では弁財天は神道や仏教と混じり合い、特に中世以降は仏教における守護神天部のひとつとして位置付けられる。大黒天、恵比寿、毘沙門天などと並んで七福神の一角をなすことでも知られている。
島には現在、「宝厳寺」(真言宗豊山派)が高所に、「都久夫須麻神社」が低所に隣り合わせで建っている。宝厳寺は西国三十三所観音霊場の第三十番札所に挙げられている。いっぽう都久夫須麻神社のほうは、厳島神社(広島県)、江島神社(神奈川県)に並ぶ日本三大弁財天に数えられる。
とくに都久夫須麻神社本殿は国宝に指定された堂々たるものだ。それにしても、湖の中の小島の斜面にどうやって資材を運び、建設したのか。信仰の力がなしえた偉業に感心するばかりである。