かつてネットは自由で気楽だった。だがいまのネット上には自主的な警備員がたくさんいる。小さなミスも難癖の対象になり、諍いが絶えない。そうしたリスクを嫌い、「オンラインサロン」にこもる人も増えている。連続起業家の家入一真氏は「いまのネットには『不特定多数から特定少数へ』という流れがある」と指摘する――。

*本稿は、家入一真『さよならインターネット まもなく消えるその「輪郭」について』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

インターネットという情報の海に溺れる人が出てきた

ぼくが初めてインターネットに触れたときは、それこそ地図もないまま、広大な海に放り出されたような感覚を覚えました。ありとあらゆる情報にアクセスできる、その可能性を感じていつまでも海をずっとさまよっていたけれど、調べたい情報自体、さほど多くないことに気づきました。

確かに検索機能が発達したことで、膨大な情報の海の中にいても欲しい宝物へと、最短距離でたどりつけるようになりました。しかし、むしろ簡単に見つかるようになった結果、人はそこから取捨選択することに悩むようになりました。自由すぎる状況が、逆に不自由さをもたらした、ともいえるのかもしれません。

※写真はイメージです。(写真=iStock.com/RaStudio)

低コスト、低リスクで情報発信できるようになり、インターネット上にはコンテンツや情報があふれているのだから、その海に溺れる人が出てきても不思議ではない。そんな人たちが増えてきたからこそ、救済する道具の一つとして近年流行したのが、「キュレーション」と呼ばれる、インターネット上に散らばった情報を選び出してくれる機能です。

たとえばニュースキュレーションアプリなら、それを使うほどに、使用者の興味や関心を把握し、情報を使い手に合わせて選び出せるようになる。セレクトされた情報を本当にユーザーが欲しているかという精度も、アプリを使うほどに高まっていきます。それはまるで、欲する情報を把握して、新聞から切り抜いて渡してくれる優秀な秘書のよう。

無意識のうちに「見たいもの」だけを見るようになる

でも、ぼくはこれもいいことばかりではないと思います。

キュレーション機能のおかげで、みんなそれぞれ優秀な秘書を持った結果、どうなったか。広い情報の海を小さく切り取り、世界を分割してしまったのではないでしょうか。

無意識のうちに見たいものだけを選び取る。自分好みの意見ばかりを吸収する。これが進めば、人は自分の好むものをさらに好む傾向が強まっていく。興味関心のあるものだけで、自分のまわりを固めてしまえば、それが一番気持ちいいからです。

当然、あるアイドルファンの元には、そのアイドルの情報ばかりが集まり、左寄りの情報を求める人には左寄りの情報ばかりが集まります。しかも膨大に流れる情報の海の中で、閲覧できる情報の量、範囲、時間はますます限定されていくのだから、幸せ、と感じられるものを見届けるだけでやっと。

そうなると知らず知らずのうちに「この世界はあのアイドルファンであふれている」「この世界に右寄りの人なんていない」というような、極端な世界観に取り込まれてしまう可能性も否定できません。これを繰り返した未来はいったいどうなるか。その人の世界は情報の海の中で、むしろ、どんどん狭くなっていくのではないでしょうか。