インターネット=「居心地のいい小部屋」

そうなったために、ふとした瞬間、自分の欲していない情報が視界に入れば、極端な反応をしてしまったり、遮断してしまったり、ときにはバッシングをしたりしてしまう、という状況が今、目の前で起こっているように思われてなりません。

現実として、他の世界を見せない閉ざした状況が、歴史上どんな悲劇をもたらしてきたか、想像することはたやすいのに。

こうしてインターネットという大きかった一つの世界は、あまりに大きくなりすぎたために、むしろ個々人の小さな単位に分断されることを選ぶようになりました。

最近、ぼくは「インターネット=居心地のいい小部屋」のように感じる機会が増えています。手を伸ばせば書棚からお気に入りの本が取り出せる。目前のテレビをつければずっと好みの番組だけが放映されて、オーディオのスイッチを入れればお気に入りの曲が絶え間なく流れる。こぢんまりした部屋の中に好きなものがすべて揃っている、といったイメージといえば伝わりやすいでしょうか。

きっとその部屋に留まっているぶんには、部屋の持ち主にとって、それ以上に快適なことはないのかもしれません。でもその部屋からは、晴れているのか、雨なのか、暑いのか、寒いのか、外の様子をうかがい知ることはまったくできない。

縮小を続けた結果としてのオンラインサロン

間違いなく、インターネットの世界そのものは、相変わらず加速度的に拡大を続けています。一方で、個々人が触れる世界だけを見れば、より精度や感度が高くなったぶん、ムダが排除され、どんどん縮小を続けている。個人を中心とした小さい、分割された世界がたくさん生まれていて、趣味嗜好はもちろんですが、政治信条などが異なる人がいい意味で交わることも減ってきている。だから近年ヘイトスピーチなどが増えているのも、当然の結果のように思います。

さらに閉じた世界を志向する事例として、世間に対して大きな発言力や影響力を持つ人たち自らが管理者となったオンラインサロンが、13年頃から多く開設されていることが挙げられそうです。オンラインサロンを手がけるプラットフォームも続々生まれました。

オンラインサロンを簡単に説明すれば、もともと会員制のクローズドなコミュニティを指す「サロン」のインターネット版とでもいえばいいでしょうか。限定された人々のあいだで、基本的にはWebを中心としたコミュニケーションが行われるところで、会費が発生し、会員以外は入れません。