「公明党は活動理念を見失っている」

少なからぬ創価学会員たちの間から、率直に漏れてくる党批判だ。公明党の結党は64年のことだが、当時関係者が盛んに口にしていたのが「王仏冥合」「国立戒壇の建立」といったフレーズだった。つまり当時の創価学会が上部団体と仰いでいた日蓮正宗(91年に破門・決別)の教義を国教にし、国にその宗教施設を造らせるという構想で、初期の公明党とはそのような徹底した宗教政党だった。

ただそのような姿勢は「政教分離違反」といった批判を多方面から浴び、公明党は70年にそれまでの方針を撤回。言ってみればこのとき、公明党の思想集団としての「理念」は消失してしまっているのだ。

以後、公明党は「福祉の党」を標榜しながら創価学会員のために行政からの生活支援などを引き出すことに力を注ぎ、また選挙を事実上の宗教行事に位置付けて創価学会員の引き締め、盛り上げに利用するなど、あけすけな利権追求集団に変貌していく。93年の細川非自民連立政権以来、彼らが「勝ち馬」に乗らなかったのは原則として2009~12年の民主党政権期だけで、そのときでさえ常に自公協調の解消はささやかれていた。実際、政界関係者の中に公明党を「コウモリ集団」と唾棄する向きは少なくない。

ただ、善し悪しはともかく現在の日本政治をかき回しているのは、安倍晋三首相や小池百合子都知事、また橋下徹氏など、イデオロギー先行型の政治家たちだ。そこにマキャベリズムだけで絡もうとする公明党の空回りが、最近の彼らのブレの原因であるようにも見える。

また創価学会員の主要層はすでに2~3世信者となっており、彼らは自身で信仰をつかんだ1世より公明党にも冷淡。創価学会・公明党本部は現在、いつ自分たちの「底が抜ける」のか戦々恐々だという。宗教政党でありながらイデオロギーを捨てたコウモリに、天の裁きが下る日は近いのか。

(写真提供=小川寛大)
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