愛をもって義務を果たすとは、どうあるべきか

キャプテン・アメリカを通じて、作者たちが、私たちに訴えかけていることは何だろうか? それは、自分たちの祖国に対して、愛をもって義務を果たすとは、どのようなことであるべきか、ということだ。

それによれば、キャプテン・アメリカは、まさに愛国的である故に、祖国アメリカが、その「理想」を体現する国になるまで、たった一人でも抵抗する必要があることを示している。そして、自由であることと、責任を果たすことは両立すると示そうとしている。トラヴィスは、こう言っている。

キャップは、……自分のコミュニティに対する義務感は、政府への依存や献身とは異なることや、単に物質主義的な自己利益を拒否すべきであることを思い出させる。……そして、私たちを団結させるものは、私たちを分割するものよりも価値があることを、私たちに思い出させるのだ。

祖国への貢献とは「メダルを持ち帰ること」ではない

キャプテン・アメリカの物語からは、自由を謳歌するには、つまり、成りたい者に成れ、望むことができるためには、どのような徳を身に付けるべきかを学ぶことができる。それは、社会性のない無責任な私生活に退却するのでも、集団主義的で排他的なイデオロギーに執着するのでもなく、責任ある生活を送り、自発的に地域社会に貢献し、お互いの自由を守るために勇敢に立ち上がることを、私たちに奨励しているのである。

そして、それこそが祖国に貢献するということであり、単にメダルを持ち帰ることではないということを、私たちに教えているのだ。

オリンピックは、政治的な中立性を掲げているし、スポーツもフェアネスを大事にしている。しかしながら、オリンピックをめぐる数々の不祥事や、強まる商業主義的な傾向、あからさまな国威掲揚が、際立ってきているのも確かだ。オリンピックの理念やスポーツの精神が、机上のものにならないようにするためにも、自由を守り責任を果たすとはどのようなことなのか、トラヴィスが言うように、アメコミヒーローから学び得ることは、まだたくさんあるように思う。

(写真=時事通信フォト)
【関連記事】
ウケ狙いで弱者を嗤う"失言大魔王"麻生氏
小泉進次郎が"負け犬"石破氏についた理由
まともじゃない国・韓国に断固たる制裁を
"首相候補"石破氏の存在感が薄すぎるワケ
橋下徹「堺屋さんがいたからできたこと」