作家で元経済企画庁長官、大阪府と大阪市の特別顧問でもあった堺屋太一さんが2月8日に亡くなった。2008年の大阪府知事選出馬以来、関わりの深かった橋下徹氏が堺屋さんとの思い出を綴る。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(2月12日配信)から抜粋記事をお届けします――。

「とにかく実行して結果を出す。その情熱を、大阪の政治に向けてほしい」

※写真はイメージです。(写真=iStock.com/FilippoBacci)

「橋下さんの人生の一部を大阪に使ってくれないかな」

2007年の11月頃、大阪の帝国ホテルの会議室で、テーブルの上のコーヒーを挟みながら、堺屋太一さんにそう言われたのが、僕が政治家人生を歩むきっかけだった。

メガネの奥の優しい眼は、その時から最後にお会いした時までずっと変わらなかった。眼は優しいんだけど、堺屋さんの大阪再生についての話は、水蒸気が沸き立つほど、魂のこもった熱いものだった。

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当時、僕はテレビ出演の仕事もしており、適当なアンちゃん(兄ちゃん)スタイルでやっていた。堺屋さんの世代には眉をひそめられることが多かったと思う。そのスタイルを基に、僕の弁護士活動も適当なものだと評する人たちが結構いた。

しかし堺屋さんは違う。どこでどのように調べられたのか分からないが、僕が弁護士活動で最も重視している点を的確に指摘された。

「橋下さんは、グダグダ考えて何もしないよりも、とにかく実行することを重視していますよね。そして結果を出すためには、従来の考え方、業界の考え方、世間の考え方に囚われない奇想天外な方法も気にせず採る。それは、依頼者の利益になる結果を必ず出すという情熱、パッション、執念に基づいている。それを大阪の政治でそのままやってもらいたい」

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