アメコミ作品ですら「人生の送り方」を問うている

著名人や公人が「有徳」であり「プロ意識」を持つべきであるのと同じだけ、私たち自身も、本来、そうあるべきなのだ。繰り返せば、それは、ただ何かのスキルを持つだけではなく、自分の言動や価値観を自明視せずに、反省的になるということだ。

私たちは、他者や書物からも、経験からも学ぶことができる。私たちの外側の力を借りることができる。偉大な人物や難解な書物でなくとも、身近な人たちや娯楽作品からですら、多くのことが学べるのだ。

例を挙げよう。コンコルディア大学(カナダ)の政治学者・トラヴィス・スミスは、『アメコミヒーローの倫理学』の中で、マーベルやDCなどの、いわゆるアメコミ作品ですら、どのような人生を送るべきか、どのような徳性を示すべきか、そして、どのようにしてコミュニティに貢献できるか、という問いについて、私たちが考えるきっかけになると言っている。

彼によれば、例えば「キャプテン・アメリカ」は、愛国、あるいはナショナリズムを考える上で、示唆に富むキャラクターであるという。

アメリカが体現する「理想」を守ることに重点

キャプテン・アメリカは、その名が示す通り、そもそもはアメリカを守る愛国的な存在だった。スティーブ・ロジャースは、祖国アメリカのために、肉体をオリンピック代表選手のように、あるいは、それ以上に強化する人体実験に志願し、強靭な肉体を持つ兵士キャプテン・アメリカになるのだ。1941年に、コミックブックに初登場した時は、その表紙には、ナチスの総統に強烈なパンチを浴びせるシーンが描かれていた。

キャプテン・アメリカは、物語の中でこう述べている。「私たちのこの国は、困難な時期を度々迎えてきたかもしれない。……しかし、アメリカは最善を尽くして、常に人間の権利のために、専制者の支配に抗ってきたのだ! そして、もし、アメリカが専制者の権力と闘うために、その原理を支える人間を必要とするなら――それならば、神に誓って、私がそのような人間になろう!」

キャプテン・アメリカが初登場した当時、このキャラクターには、国威掲揚の側面があったことは否定しがたい。実際、彼の敵は、第二次世界大戦当時のドイツをはじめとした枢軸国であり、その後は、共産主義だった。しかし、トラヴィスによれば、キャプテン・アメリカの愛国心の描かれ方は、近年はとくに、アメリカの「利益」を第一にするのではなく、むしろ、アメリカが体現する「理想」を守ることに重点が置かれるようになっている。映画『シビル・ウォー』では、監視国家化するアメリカを憂いて、キャップは、アメリカを離れ、ワカンダというアフリカの国家に移ってしまった。