あなたの配偶者は健康診断を受けているだろうか。専業主婦なら「もう何年も受けていない」という人も多いのでは。名医が妻を亡くした実体験から助言する。

なぜ早期の発見が、手遅れになったか

妻の乳がんが発覚したのは、今から19年前の1997年。妻が50歳のときです。「乳頭から血のようなものが出る」と妻から相談を受けた私は、すぐに近くの病院での受診を勧めました。診断結果は早期の乳がん。早期であれば、乳がんは極めて死亡率の低い病気です。私も妻も楽観的でした。乳がんに詳しい友人に相談して(私も医師ですが、専門は心臓血管外科なので)、手術を受けることになりました。

外科医 高本眞一氏

当時は乳がんでも乳房を全摘せずにすむ「乳房温存術」という手術方法が広まってきたころで、妻本人の希望もあり、その方法を選びました。手術後に放射線治療もおこない、これで一安心と思っていましたが、手術から5年目の定期検診で乳房の表面への局所再発が見つかったのです。さらに骨盤への転移が見つかり、最初の手術から数えて8年目に肝臓と頭蓋骨への転移が明らかになりました。

四方八方手を尽くし、化学療法の名人と呼ばれている方による抗がん剤治療も受けました。これはよく効いて、腫瘍マーカー(※)の数値もぐんと下がったのですが、1年ほどたつとだんだん薬が効かなくなってきました。こうなると抗がん剤は苦しいだけです。発症から11年経った時点でがんが脳に転移しているとわかり、当時私の勤務していた東大病院に妻を入院させました。朝、回診前に妻に会いにいけるからです。

※がんの存在によって血液中に増加する物質の検査

在宅医療に切り替わっても、妻は1カ月半も生きた

もうなすすべがなくなると、東大の主治医から自宅での看取りを勧められました。私が住んでいた官舎にはエレベーターがなかったため、窓から桜の木が見えるマンションに移り、在宅医療が始まりました。2008年の3月ごろのことです。

在宅医療の問題点は、誰かが常にそばにいなければいけないことです。私の家では、娘が仕事を辞めてずっと付き添っていてくれました。そのことについて娘に感謝していますし、おかげで在宅医療に切り替わると1~2週間で亡くなる方が多いなか、妻は1カ月半も生きていてくれました。

入院すると、夜は別々に過ごさなければなりません。しかし在宅なら夜中もずっとそばにいられます。子供たちもずっと付き添っていてくれて、最後に濃密な時間を過ごすことができました。その点については本当によかったと思っています。その後、私もあまり落ち込まずにこられたのもそのおかげだと思っています。

▼発覚から11年、高本夫妻の「がん」との闘い
●1997年
乳がん発覚。夫人が50歳のとき、早期発見だった。乳房を残す。
●2002年
局所再発が見つかる。手術後、放射線治療を実施。
●2005年
肝臓、頭蓋骨への転移が発覚。化学療法を実施。
●2008年
脳に転移が見つかる。東大病院へ入院し、全脳照射とガンマナイフ(脳の疾患をピンポイントで治療する放射線治療)を実施。
在宅医療を始める。エレベーター付きのマンションへ引っ越す。
4月、亡くなる。