――多忙な医師としての仕事をしながら、それでも取材をして本を書くのはどうしてですか。
医師である僕が「書くこと」を始めたのは、今から10年前のことでした。『命のカレンダー』(現在は『小児がん外科医』に改題されて中央文庫)という本で、大学病院に勤めた19年間で出会った子供たちについて書いたものです。
1987年に医学部を卒業した僕は、それからの19年間、大学病院で小児がんの専門医として働いてきました。
僕は大学病院で203人の小児がんの子供たちを治療しました。その日々はまさに子供たちと一緒に病と闘うようなものでした。小児がんと言えば白血病を想像しますが、僕の専門は小児固形がん。患者の亡くなる率は高く、7割の子を助けることができた一方で、3割の子は亡くなっていきました。
「子供を失う」という言葉にしがたい悲劇
当時は毎日の治療で必死でしたが、病院を離れてみて心に焼き付いているのは、やはり助けられなかった子供たちのことでした。僕はその現場を離れたとき、どうしてもその子供たちについて書いておかなければならない、と思ったのです。
子供を失うということは、親にとって言葉にしがたい悲劇です。多くの人たちが普通に社会生活を営んでいるまさにいまこの瞬間も、わが子が死んでしまうのではないかと毎日、考えている家族がいます。家族は365日病棟に泊まり込んでいます。そして、抗がん剤を投与されている子供の傍らに寄り添う母親たちは、毎朝、目覚める度にわが子の口元に手のひらをかざして、息をしているかどうか確かめるのです。そんな母親たちの姿を、僕はずっと見てきました。
ただ、小児がんの病棟がどれほど過酷であっても、僕にはそこから逃げ出したくなるという気持ちはありませんでした。ある程度の治療をすると、その子がもう助からないことが分かります。あと一年、あるいはあと半年といった判断がなされた後、医師としての自分の仕事は、家族がその死をどう乗り越えるかを一緒に考えていくことでもありました。
この世界にはそのような不安と哀しみの中で生きている人たちがいる。それは当時の若い僕にとっても衝撃でした。その人たちの姿をもっと知ってもらいたい、と思って本を書いたのです。