障害児を育てるというのは、どんな経験なのでしょうか。小児科医の松永正訓さんは、「親にとって子供の障害を受け入れるということは、期待した子供の死を受け入れることと同じ」といいます。その言葉の真意について聞きました――。(前編、全2回)/聞き手・構成=稲泉連
松永正訓医師(撮影=プレジデントオンライン編集部)
小児科医の松永正訓さんの新刊『発達障害に生まれて』(中央公論新社)は、自閉症の子を持つある母親の「受容」の物語だ。主人公の母親の子供である勇太くん(仮名)は、2歳のときに知的障害をともなう自閉症と診断を受ける。最初はその事実を受け入れられなかった母親が、勇太くんの障害をありのままに受け止め、障害者を持つ一人の親として自立していく過程が本書には描かれている。

――松永さんはこれまで重度の染色体異常など、長く生きられない子供たちの物語を書かれてきました。なぜ今回は「発達障害」というテーマを選んだのですか。

発達障害や知的障害の子を持つ親の人生が、ずっと気になっていました。

重度の染色体異常の子の場合、基本的には家にいることが多いわけです。一方で僕のクリニックにも知的障害のお子さんが来ますが、見ていると大声をあげて走りっぱなしの子もいて、お母さんの気はさぞかし休まらないだろう、と思っていました。

障害というものには軽重はなく、どんな障害でも親御さんは大変であるわけですが、発達障害の子は社会との接点を多様な形で持ちながら生きていきます。寝たきりや重度の障害を持つ子とは、また違った意味でのつらさや受け入れがたさを親は持っているはずだ、と常々考えていました。

発達障害の子の日々の生活を、医師はほとんど知らない

そのような問題意識の上で出会ったのが、この本の主人公で自閉症である勇太くんのお母さんでした。

自閉症は「発達障害」の中に含まれる疾患の一つで、正式には「自閉症スペクトラム障害」と言います。「連続体」を意味するスペクトラムという言葉が付くのは、重度の知的障害をともなう子から、全く知的な遅れのない子まで症状に幅があるからです。後者の場合はアスペルガー症候群や高機能自閉症と呼ばれています。

今回、『発達障害に生まれて』で描いた勇太くんには、この自閉症と知的障害という二つの障害がありました。

発達障害の子の日々の生活というものを、実は医師はほとんど知りません。一般の医師は発達障害の可能性が濃厚な場合、あとは専門医の診断に任せてしまいます。また、疑いを持つことまでが仕事で、実際に専門医によって発達障害と診断された後は、治療と教育を行う「療育」という段階に入ってしまう。だから、彼らがどのような教育を受けているか、ましてやどんな日常を過ごしているかを知る機会がないのです。

だから、初めて彼女の自宅を訪れた日のことは非常に印象に残っています。