「これはできるが、あれはできない」と悩み続ける

ただ、療育をいくら熱心にやっても、知的障害や自閉症そのものは治りません。ある日、彼女は職場で勇太くんの通う保育園の様子をライブカメラで見て、集団の中で彼だけがぽつんと離れて過ごしている姿に心が締め付けられたそうです。

松永正訓医師(撮影=プレジデントオンライン編集部)

彼女はしばらく抑うつ状態になるのですが、また別のあるとき、精神科病院の病室にたたずむ少年の姿を見ました。症状に合わない無理な療育を受けた自閉症児が、二次障害になって入院しているのかもしれないと思うのです。これ以上の無理を重ねる危険性に気付き、そのとき、彼女は目が覚めたように、初めて勇太くんの障害を受容したと言います。

そのように障害児の親は社会との接点の中でさまざまな不都合にぶつかり、「これはできるが、あれはできない」と悩み続けます。それはギリギリのせめぎ合いのようなものです。世間における「普通」を必死に目指し、壁にぶつかる。できるかもしれないと期待し、できなかったと諦める。一歩ずつ後退しながらわが子の障害を受け入れ、世間の同調圧力から離れていくのです。

例えば、勇太くんは手先があまり器用ではなく、5歳になっても箸などを使わずに素手でご飯を食べることがありました。最初は箸を使わせようと彼女は頑張るわけですが、なかなかうまくいかない。そんなとき、自閉症を持つ子の先輩の母親から、「世界の半数以上の国が食事を手で食べる文化なのよ」と言われてはっとしたりします。

経験を積み重ねながら「普通」であろうとすることを止める

あるいは、彼女にとって大きかったのは、保育園で一列に子供たちが整列している写真を見たアスペルガー症候群のお母さんに、「この一列に並んでいる子たち、本当に不思議ねえ。どうして同じ格好をして歌っているのかしら? 後ろで本を読んでいるほうがよっぽど楽しいのに」と言われたことだそうです。

「いままで私は健常者の脳で考えていた。そういう考え方をやめなければならない。うちの子は自閉症児なのだから、自閉症児の見方で世界を見ないとこの子の世界は理解できない」

以来、彼女はそう考えるようになります。そのような経験を積み重ねながら「普通」であろうとすることを止め、彼女は自閉症児である勇太くんの世界を否定せず、彼のありのままを肯定するようになっていったのです。

――障害の受容には段階があるということなのですね。

彼女が勇太くんの障害をいかにして受容してきたのかを聞きながら、僕はキューブラー・ロスの有名な「死の5段階モデル」を思い出しました。