ロスが著書『死ぬ瞬間』で提唱したこの説は、死を宣告された終末期の患者は自らの死を受け入れる際、「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」という過程を経るというものです。勇太くんのお母さんのたどった受容のプロセスは、このロスのモデルと非常に似ています。また僕が障害児を取材してきた経験では、多くの親御さんがそうしたプロセスをたどっています。その意味で、ロスは非常によく見ているなと思います。

「期待した子供の死」から「生の5段階」が始まる

しかし、障害児を持つ親は「期待した子供の死」を受け入れた後も、「障害を生きる」という次のステージに入っていかなければなりません。

松永正訓医師(撮影=プレジデントオンライン編集部)

僕が取材の中で深めたもうひとつの理解は、「期待した子供の死」を受け入れた親たちには、次に「生きていくための5段階」、いわば「生の5段階」が始まるということです。

その1段階目はロスの言う「受容」と重なります。まずはわが子の障害を受け入れ、最初は諦めにも似た気持ちを抱いていた母親は、次に勇太くんの障害を積極的に「容認」しはじめます。彼の世界をありのままに受け止めようとするのです。そして、その中で彼女はこれまで持っていた社会や家族、子供についての価値観を捨て、障害児と幸せに生きるための「新しい価値観」を作ります。

そうして「あなたはあなたでいい」という「承認」を与えることで、「障害を生きる」というステージにいよいよ本格的に足を踏み入れていく。その変化は劇的なもので、親の側の価値観の転換によって、障害児は2度目の誕生を迎えるといっても過言ではありません。

「どうして障害を持って生まれてきたのだろう」の答え

「死の5段階」を経て「生の5段階」を突破していくことで、親は「そういうあなたを愛している」という気持ちを抱くようになり、わが子の障害をともに生きていこうとしていく。それが今まで障害児のご家族を取材してきた僕のたどり着いた結論です。

また、障害児を持つ親の受容のプロセスは、多くの医師が知っておいたほうが良いことだとも僕は感じました。障害とともに生きる段階に入った家族にとって、医療は子供を取り巻く生活のほんの一部にすぎません。その子の日常があって、医療がそのほんの一部であると自覚したうえで、医師は家族を遠巻きに見て応援するくらいでちょうどよい。そのご家族がどんな生き方をしているかを知り、あるいは想像しながら、一つひとつの家族のバックグラウンドを把握したうえで、医療による支援を行うわけです。

障害児の親は「どうしてうちの子は障害を持って生まれてきたのだろう。この人生にはどのような意味があるのだろう」と必死に意味づけをしようとします。家族の受容のプロセスやバックグラウンドを知ることによって、医師は初めて親たちの意味づけをお手伝いする存在になれるはずだと思います。(後編に続く)

松永 正訓(まつなが・ただし)
医師
1961年、東京都生まれ。87年千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より「松永クリニック小児科・小児外科」院長。13年『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)など、近著に『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)がある。
(聞き手・構成=稲泉連 撮影=プレジデントオンライン編集部)
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