障害児を受容するとはどのようなことなのか
そのとき実感したのは、健常児を授かる人生に対して、障害児を育てるという人生が単純に悲しかったり、不幸だったりするとは言えないということです。染色体異常の子も一個の生を懸命に生きており、親もまたさまざまな困難の中で子育てをしながら、わが子の障害を受け入れ始め、さまざまな喜びや幸福を感じる日々を送っていたからです。
以来、僕は障害児を受容するとはどのようなことなのかを、もっと深く知りたいと思うようになりました。そうして2017年には、在宅で呼吸器を付けた子と家族の日々を描いた『呼吸器の子』という本も書きました。
――障害の受容がテーマになったわけですね。
それは第1作を書いたときから、変わっていないのかもしれません。
自分の子供ががんになって死んでしまうことは、この世界における大きな不条理です。人は親から順番に死んでいくものであり、自分の子供が3歳で小児がんにかかり、4歳で死んでしまったら、それほどの悲しみと不条理はありません。
しかし、そこで僕が目にしたのは、それがどれほど困難なことであっても、時間とともにわが子の死をどこかで受け入れ、その死を抱きしめながら、それでも生きていこうとする親たちの姿でした。どれほど困難であっても、その死を受け入れ、死を抱きしめながら、それでも生きていく親たちの姿――そのように不条理を抱えて生きていく姿を長いあいだ見てきたことが、こうした本を書き続ける僕の原点になっています。
不条理を乗り越えて生きようとする人間の本質をみた
だから、僕が本を書く理由は「発達障害について知ってほしい」「トリソミーや在宅呼吸器のことを理解してもらいたい」といった啓蒙のみではありません。
人は健常者でも障害者でも、生きていく上でさまざまな不条理を経験します。理由の分からない苦痛を背負わされたり、乗り越えられるか分からない壁にぶつかったりと、それぞれの人生の中で不条理を生きるのが人間です。
人生における不条理は受け入れるしかないし、乗り越えるしかないものです。そして、人間の歴史はそうした不条理をはね返すことで進歩してきたのではないでしょうか。その意味で僕が病気や障害を持つ子の家族を描き続けてきたのは、そうした親たちの姿に、不条理を乗り越えて生きようとする人間の本質を見ているからなのだと思っています。
医師
1961年、東京都生まれ。87年千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より「松永クリニック小児科・小児外科」院長。13年『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)など、近著に『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)がある。