※本稿は、岡本裕一朗『答えのない世界に立ち向かう哲学講座』(早川書房)の第4講「ゲノム減編集時代の生命倫理」を再編集したものです。
チンパンジーとの子どもを産みたい女子大生
【岡本】生物遺伝学者のリー・シルヴァーは、あるとき次のような講演をしました(シルヴァー『人類最後のタブー』より)。
「ヒトのDNAとチンパンジーのDNAは99パーセントまで同じである。チンパンジーとは染色体が似通っている。したがって、二種の交配による子どもは生存可能である。ヒトの精子をチンパンジーのメスに人工授精すると、胎内の子どもが早く成長しすぎて死産する可能性がある。ただし、逆は可能である。人間の女性の胎内でならば、二種の交配が完成するかもしれない」
講演のあと、一人の女子学生がシルヴァー先生の研究室にやってきていいました。
「先生が講義で説明していたようなことをやりたい。私の卵子をチンパンジーの精子と合わせて、受精卵を自分の子宮で育てて、その観察記を卒論にまとめたい」
まとめたら、名前は売れるし、実際素晴らしい卒論になるでしょう。この勇敢なリケジョの質問に、どう答えたらいいでしょうか?
シルヴァー先生は明確な回答を与えていないんです。彼はこういいました。「現実に胎内に受精卵が着床して、育ち始めたらどうする?」
少し間抜けな質問ですね。女子学生の答えはこうです。「早く卒論を書きあげて、書きあがった段階で中絶しますから心配には及びません」
さて、どう考えたらいいでしょう。
女子学生とチンパンジーの交配は認められるか
(問題)女子学生とチンパンジーの交配が認められるのはどんな場合?
選択肢として、次の三つを設定しておきます。
(1)女子学生が中絶を前提でチンパンジーとの交配を望むとき。
(2)女子学生が中絶を望まずに、その子を育てる目的で交配を望むとき。
(3)科学的に観察する目的で交配を望むとき。
*感染症等の問題はクリアしていることを前提としましょう。
(5人程度のグループに分かれて10分間のディスカッション)
【岡本】いかがでしょうか。
【受講者A】三つの選択肢の前のゼロ番めの選択肢として、実験対象がオランウータンとチンパンジーだったらどうだろうかと考えました。この場合、私たちのグループの全員がOKを出したんです。ということは、ヒトと他の動物が関わるときになんらかの問いが生まれるのではないか――こうしたところからディスカッションを始めましたが、そのあとは、問題を整理するだけで精一杯でした。
(1)は、命をどう扱うかという議論をしています。(2)は、命としては扱うが、存在として認めていいかが論点になっています。(3)については、科学的に観察するにしても、科学者が女性である場合と、シルヴァー氏のように男性である場合の二パターンがあるんじゃないかという話をしましたが、時間切れで結論が出ないままでした。
【岡本】生命をどう考えるかという問題ですが、現代風に考えれば、中絶をするかしないかは本人の自己決定です。女子学生がいいというのであれば何も問題はない、と考えられるかどうかですね。結論が出たグループはありますか?