すでに「産むか産まないか」で選別している

【受講者D】われわれは満場一致ですべての治療をやるべきと考えました。ガンガンやっていいのではないかと。昔は子どもは「授かるもの」でしたが、いまは子どもを「つくる」という言い方をしますよね。すでにわれわれは産むか産まないかで選別しています。

【岡本】産むか産まないかの選別、あるいは配偶者の選別も含めて、私たちはすでに子どもに関してさまざまな選別をしていて、遺伝子による選別はその延長でしかない。だからこれを否定する理由は見当たらない、という考えですね。

反対意見はありますか?

【受講者E】グループのなかで私だけでしたが、遺伝子をいじってしまった結果がどうなるのか、本当に思い通りになるのかが見えていない状態のままで操作をすることには否定的です。遺伝子操作をした結果、種としての力が弱くなっていく可能性などを考えると、リスクが高すぎると思います。

【岡本】もし、リスクが解消され、絶対に安全であるとしたらどうでしょうか。

【受講者E】その場合は、まず(4)については、遺伝子組み換えをしたいという本人と、遺伝子操作される側の関係性という問題が出てくると思います。本人が望んだわけでもない改変を親などの第三者が行なっていいのか。それが引っかかります。

【岡本】それはきわめてハーバーマス的な意見ですね。おっしゃるとおり、生まれてくる子どもの受精卵の段階での遺伝子の改変ですから、本人が望んでいるか望んでいないかは聞けません。

「新しい時代にわれわれは踏み込んだ」

【受講者F】議論としては、(1)から(4)まですべてOKということであっさり結論が出ました。ただ僕自身がそこまで踏みこめないのは、人類が保ってきた一線を踏み越える感があるからです。

これまで人類はいろいろな形の選択によって進化してきました。遺伝子異常を起こした個体が適者生存で残ってきた歴史があるわけです。複雑な声帯を持つ個体が遺伝子異常でたまたまあらわれて、それが言語の獲得につながった。ブタモロコシのなかに遺伝子異常で粒が落ちない個体がたまたまあらわれて、それを人類がトウモロコシとして選択的に育てることで農業が発展していった。

そのように人類はやってきて、現在は選択的に子どもを産む・産まないというところまできましたが、遺伝子に触ってはいません。そこには一線があるような気がします。自然淘汰の流れにしたがって意図的な選択を行なってきたとしても、遺伝子の改変となると一線を踏み越えるような気がするので、「いままでの進化の延長線上だからいい」とは思えないんです。

【岡本】それこそが、ハーバーマスも含めて、「新しい時代にわれわれは踏みこんだ」という形で問題を立てる一番大きなポイントです。この問いにどう答えるのかが、私たちに課せられています。これまでは遺伝子を組み換えるとしても他の生物に対してであって、自分たち自身の遺伝子を組み換えて、人間の本性や進化を左右するところまではやってきませんでした。ところが、技術的にそれが可能になり始めたのが、いまの時代の非常に新しい点です。