お年寄りに「必ず」席を譲るべきか
電車内において、お年寄りが立っているのに、若者は席を譲ろうとしない。そのとき、お年寄りが若者を叱りつけた。
「なぜ高齢者に席を譲らないんだ!」
さて、このとき若者はどうすればいいのか―こんな話が実際に起き、議論の対象になっている。これも「キレる高齢者」の具体例として紹介されることが多い。
ここまで極端なケースはそれほど起きないだろうが、最近は車内で多くの人が立っているにもかかわらず、高齢者や体の不自由な人のための優先席には誰も座っていないといった光景を見ることもあり、「どんな場合も優先席には座らない」と決めている若者も少なくないように感じられる。
先のケースでは「高齢者だからといって席を譲ってもらうのが当然と考えるのはおかしい」といった意見もあれば、「若者のほうが良くない」「少なくともシルバーシートなら譲るべき」といった意見などいろいろあろうが、私の考えはこうである。
高齢者に席を譲るのは、いつなんどきでも当然であると考えるのはおかしい。若者に席を譲れと強要するのは明らかに行き過ぎである。
自分がもし体調が悪かったり、もともと病弱だったりすれば、若者であっても席を譲る必要はない。だが、お年寄りのほうがより切実に席を必要としている状況であるならば、それは譲ることが望ましい。年齢ではなく、いまどちらが席を必要としているか、考えて行動すればよいのである。電車内には若者とお年寄りの2人だけがいるわけではなく、他にもたくさんの人が座っているわけだから、もし全員が席を譲るかどうかを自分のなかで判断すれば、自然と状況は落ち着くことだろう。
重要なのは「判断する力」
お年寄りに席を譲るという考えは、弱い者に対しては自分のできる範囲で助けていく、という弱者に対するひとつの姿勢である。誰が弱者なのかは、状況によって違ってくるだろう。まだ元気いっぱいな老人と、妊婦と、普通の若者がいたら、妊婦に席を譲ればよい。機械的に行動するのでなく、誰が困っているのかを判断する力が重要なのだ。
教科書のなかの話を読んで自分だったらどうするかと頭のなかで考えたとしても、現実にそうした場面に遭遇したときには、また違った判断が出てくることもあるだろう。いずれにせよ、これは一人ひとり自分自身が状況に応じて考え決めるべきことで、教科書を使って決まりきったルールとして教えるような性質のものではない。
京都造形芸術大学 客員教授
1952年生まれ。東京大学法学部卒業後、75年文部省(現・文部科学省)入省。92年文部省初等中等教育局職業教育課長、93年広島県教育委員会教育長、97年文部省生涯学習局生涯学習振興課長、2001年文部科学省大臣官房審議官、02年文化庁文化部長。06年文部科学省退官。著書に『国家の教育支配がすすむ』(青灯社)、『文部科学省』(中公新書ラクレ)、『これからの日本、これからの教育』(前川喜平氏との共著、ちくま新書)ほか多数。