整ったものはむしろおもしろくない

我々は、テレビ番組というものを基本的に1度しか見ません。ドラマはまだしも、バラエティ番組を2度も3度も見る人はほとんどいないでしょう。

ところがPCのデジタル編集は全体を俯瞰しながら、つまりディレクターは何度も全編を往復しながら細かい調整を施すので、結果として何回も見た人が「バランスの取れた構成だな」と思えるように仕上がっている。編集をしすぎている番組は、1度だけ見る視聴者の生理には、実は合っていないのです。

昔のアナログ編集は何度も巻き戻して再編集するので、時間とお金がかかります(編集室は時間単位で使用料がかさんでいくのです)。そのため放送に間に合わせるには極力巻き戻さず、一回見ただけの一発勝負で、どこを切るかを次々と判断していました。つまり、初めてその番組を見た人が、その瞬間、瞬間で気持ちいいと思えるリズムを持った編集に、おのずとなっていったわけです。

結果として多少不格好だったとしても、初見の視聴者の生理とはピッタリ合う。だから気持ちよく引き込まれました。

「巧い」=「おもしろい」ではない

ある種の映画のような「芸術作品」は、整えまくったほうがいいのかもしれませんが、バラエティ番組は昔のやり方のほうが絶対に勢いを出せます。冒頭のロザンの宇治原さんが出演しているクイズ番組に僕が感じた違和感は、そこでした。

バラエティプロデューサーの角田陽一郎さん

各設問の時間配分を計れば、おそらく均整は取れているのですが、後半が明らかにたるい。テンポが悪いのです。

デジタル編集になって番組のクオリティは上がりました。が、引き換えに勢いを失ったのです。エッセイだって、推敲しすぎるとおもしろみと勢いが削がれます。多少荒削りのほうが読後感は気持ちいい。

「巧い」=「おもしろい」わけではありません。整ったものは、むしろおもしろくない。少しの遊び、多少の不格好さ、若干のバランスの悪さ。そこにチャーミングや愛嬌が顔を出し、人を引きつけるのです。整えすぎはそのバッファを許しません。

「この組織は俺を殺すつもりだ!」

「整えすぎ」と同様に、「決め込みすぎ」もお勧めできない行動の一つです。

僕が、TBSでADになったばかりのペーペーの頃、上についたディレクターの女性が、有無を言わさず怒涛の指示を出してくる人でした。

夜中に電話が来て、「明日の朝○時に出発ね。今から明日のロケの段取り、全部確認するよ」なんて言ってくるわけです。

AD時代は毎日が過酷で、休みは本当に1日もないし、3日徹夜して「はあ、今日帰れる」と思った朝10時、「今日、午後1時から会議だから部屋用意しといて」と言われ、脱走したこともあります。

まだ携帯のない時代でしたから、朝消えて2日間くらいは逃げられました。留守電には上司からの大量のメッセージ。さすがにその時は、「この組織は俺を殺すつもりだ!」と思いました。