「運を開く」ために必要な考え方とは何か。バラエティプロデューサーの角田陽一郎さんは、初代総理大臣・伊藤博文を例に引いて、「ひとつの考えに固執せず、風見鶏のように対応を変えるスタンスこそがいい結果を招く」と分析します。「“唯一”を求めないほうが、運が開ける」と説く理由とは――。(第5回、全5回)

※本稿は、角田陽一郎『運の技術 AI時代を生きる僕たちに必要なたった1つの武器』(あさ出版)の一部を再編集したものです。

伊藤博文に見る開運のヒント

いよいよこの連載も最終回です。ここまで、いろんな芸能人の方々の運のつかみ方をご紹介してきました。その最後を飾るのが、伊藤博文です。

写真=iStock.com/ipopba

「えっ、なんで?」「最後に奇をてらった?」

いえいえ、そういうわけではありません。伊藤博文がなぜ総理大臣になれたのか。そこには、情報革命後の現代であるからこそ参考にしたい開運のヒントが隠されているからです。

説明するまでもありませんが、伊藤博文は、松下村塾の門下生で、幕末期の倒幕運動に参加。明治維新後も着々と力を蓄え、日本の初代内閣総理大臣となった立志伝中の人物です。ちなみに私が知る限り、日本では「貧しい境遇から国のトップにまでのぼりつめた」人が3人しかいないと言われています。豊臣秀吉、伊藤博文、そして田中角栄です。

ヒーロー性に欠ける人物像

皆さんは意外に思われるかもしれませんが、伊藤博文を主人公にした大河小説というものはほとんどありません。脇役としては頻繁に登場しますが、主人公として壮大な物語は描かれない。これだけの有名人で、これだけ功績を挙げているのに、なぜでしょうか。

不思議に思っていたら、僕の尊敬する司馬遼太郎が、インタビューでこんなことを言っていました。

「小説の主人公は夢や大志や希望を持っていないとおもしろくないが、伊藤博文には、それがない」

たしかにそうです。博文は風見鶏というかカメレオンというか、こっちの陣営が有利だと思ったらこっちにつき、あっちの人に寄れば得だと思ったらあっちの人につく。朝令暮改で一貫したポリシーがない。

しかも遊郭好きときている。誰もが憧れるヒーロー性に乏しい。主人公になりえなくて当然です。だったら、なおさらトップを取れた理由がわからないと思われるでしょうか。いや、だからこそ初代総理大臣になれたのです。