老いを受け入れ、来る「死」を待つ

年齢というものは残酷なもので、40歳を過ぎてもモテようとしたり、体形を維持しようと努めたりしても、若者からすれば「年寄りの冷や水乙www」などと揶揄されるだけである。どんなに若くあろうとしたところで、年を取れば代謝は悪くなるし、回復力も遅くなる。

もはや40歳を過ぎたら、自分の衰えを認めて生きるのはどうだろう。「いくつになってもキラキラした恋愛」「フルマラソン挑戦」「一生ベンチャー精神」「生涯学習」などの言葉に影響されることなく、自らの老いを受け入れながら、来る「死」を待つ──そんな生き方でもいいのではなかろうか。

個人的な話になるが、私は33歳のとき、31歳だった婚約者を自殺で失った。以来「人はあっさりと死ぬものだ」という死生観を抱くようになった。それゆえ、自分自身もそこまで長く生きたいとは思っていない。ましてや将来的な安定を求めてフリーランスの人生を辞め、いまからなんとか企業に就職をしようとか、60歳になったら老後の蓄えを少しでも増やすべく就職した会社の「定年後再雇用」に応募しようなどとはつゆほども考えない。

「泣き」と「笑い」の両方でしのばれたい

所詮、自分の人生なんてものは、自分と家族以外にとっては大した意味を持たないものだ。長く生きることこそが美徳だとは思えないし、「人生100年時代」などと役所や政府にあおられて75歳まで働くなんてたまったものではない。

68歳くらいで原因はさておき突然死んでしまい、そこそこの財産を家族に遺すことができれば、それで十分である。そして葬式のときに、「ちょっと早かったけど、最期まで楽しげな人生だったね」と参列者から「泣き」と「笑い」の両方でしのんでもらえる程度の寿命で生涯を終えるのが理想だ。

故人が55歳以下で亡くなっていた場合、基本的に葬儀場は「悲しみ」だけに包まれている。だが、それ以上の没年になると「悲しみ」だけでなく、「おつかれさま!」といった「ねぎらい」や、「アイツ、こんなバカなこと言っていたよな」と皆でイジったりしながら「笑い」とともに見送るような空気も醸されてくる。そして80歳を過ぎてから亡くなった人の葬式は、どちらかというと「笑顔で見送ってやろう」という空気のほうが強いように感じる。さらに90歳を過ぎると「あのエロジジイ、天国でも楽しくやってるんだろうね(笑)」みたいなエンタメ的反応すら起きてくる。