昨年10月の総選挙では、民進党から分かれた立憲民主党が躍進した。その後、民進党を中心に、野党の統一会派結成が模索されたが、不調に終わった。「小党分立」のままでは政権交代の道は険しい。その壁を、立憲民主党は突破できるのか。ノンフィクション作家の塩田潮氏が立憲民主党の福山哲郎幹事長に聞いた――。(前編、全2回)

「新党がないと選挙に出られない」

【塩田潮】昨年10月、総選挙を前に、民進党が分裂し、希望の党への合流を目指す動きが表面化する一方、立憲民主党が結成されました。中心人物だった福山さんは代表に就任する枝野幸男元官房長官を支える幹事長となりますが、結党にどう関わったのでしょうか。

福山哲郎・立憲民主党幹事長

【福山哲郎・立憲民主党幹事長】総選挙の実施が決まって、いろいろな動きがありましたが、私は参議院議員で、選挙があるわけではないので、口を挟むのは控えようと決めていた。民進党の両院議員総会で、前原誠司さん(当時、民進党代表)が、2015年に成立した「安保法制は違憲。安倍政権に対峙するために全員で希望の党へ」という旨のあいさつをした。それは一つの決断だなと判断し、あのときは何の異論も挟まずに了解しました。

前原さんとは、自民党と共産党が強い京都で二十数年、新党さきがけ時代から、活動を共にしてきた同志です。一方、枝野さんとも、2000年初頭に政治資金の公開問題で、党を超えて枝野さんを含む4人で雑誌論文を書いたことがあり、その頃から関係が深くなりました。論客で、あこがれを持っていた。11年に東日本大震災が起こったとき、菅直人内閣の官房長官と官房副長官で、共にあの震災に向き合った。枝野さんとも同志です。

あの両議院総会の後も、民進党の代表代行だった枝野さんと「仕方ないですね、これも一つの選択ですかね」という話をしていた。ところが、小池百合子さん(東京都知事)の口から「排除」「全員なんて、さらさらない」という言葉が出て、「排除リスト」や「誓約書」の話が出回り、当初の話と違うということになった。

希望の党への移行を準備していた人の中で現職と新人を合わせて100人以上が排除される可能性が出てきた。加えて誓約書の中に安保法制に賛同するような文言が入っていた。そういう状況で、「枝野、立て」という声がネット上で上がり、候補者の中からも「新党をつくってもらえないと選挙に出られない」という声があちこちから上がりました。