昨年10月の総選挙では、民進党から分かれた立憲民主党が躍進した。福山哲郎幹事長は「永田町の都合だけの離合集散は支持されない。『国民の政治離れ』ではなく『政治の国民離れ』が起きていた。自民党に代わる政治勢力の核を目指したい」と訴える。ノンフィクション作家の塩田潮氏が、その真意を探る――。(後編、全2回)

民主党政権の破綻は「離合集散」の結果

【塩田】昨年10月の総選挙では、立憲民主党が野党第一党になりましたが、野党は小党分立で、多くの国民が期待していると思われる「政権交代可能な政党政治」は今のところ、視界ゼロです。将来的にその形をどうやって実現するかが議論になったとき、今の自公の枠組みに対抗するもう1つのブロックをつくる際に、立憲民主党はどういう役割を担っていくべきだとお考えですか。

【福山】衆議院に小選挙区制度が導入されて20年が過ぎ、自民党に対抗するために二大政党をつくらなければというので、離合集散の結果、民主党になって、民主党政権の誕生まで行った。ですが、離合集散のミシン目が、民主党政権の破綻の原因になった。

福山哲郎・立憲民主党幹事長

以後、ばらばらだと言われ続けて、それが政党としての弱点だった。維新の党の合流もあったけど、支持率は上がらなかった。自民党に抵抗するために便宜的に固まっている集団で、どうせばらばらと国民に見透かされてきたわけです。

政党の離合集散はもういい、永田町の都合だけでくっついたり離れたりするのはもういいという声を、選挙戦で多くの有権者からいただいた。枝野さんがよく言いますが、国民が政治から離れているのではなく、政治が国民から離れていたのでは……。国民のみなさんが教えてくれたんです。

今回、立憲民主党ができて、民進党がずっと温めてきた政策を、よりブラッシュアップし、主張を強くする形で政策をまとめました。われわれは自民党に代わる政治の極のうちの核として存在したいと思います。61議席の小政党ですから、大きなことを言っても現実性はありません。しかし、アメリカの民主党と共和党、イギリスの労働党と保守党のように、一定の理念・政策で分かれる状態を目指して、自民党に代わる極の中核として、政策・理念の核を構成できる政党にしていければいいなと考えています。