「専守防衛」は60年以上も前に生まれた政治用語
次に東京社説は言葉の成り立ちをこう解説していく。
「専守防衛という言葉を国会で初めて口にしたのは会議録を検索する限り、1955(昭和30)年7月の杉原荒太防衛庁長官。自民党が誕生する保守合同前の鳩山一郎民主党政権でした」
「言葉は少し固苦しいかもしれないが、専守防衛、専ら守る、あくまでも守る、という考え方だ」
「軍事大国にはならないことを誓い、国民の反発を避けるために生み出された政治用語でもありました」
「その後、主に自民党が担ってきた歴代内閣も専守防衛政策を継承し、日米安全保障条約とともに、戦後日本の安全保障政策を形成する基本方針となっていきます」
丁寧なですます体で書かれていることもあり、東京社説のひと言ひと言が読者の頭に素直に入ってくる。産経社説に比べ、書いている論説委員の筆力も高い。
「専守防衛の中身が変わりつつあるのではないか」
東京社説は「気掛かりなのは安倍政権の下、専守防衛の中身が変わりつつあるのではないか、ということです」と論じていく。
「15年9月に安倍政権が成立を強行した安全保障関連法です。この法律により、日本は直接攻撃された場合だけでなく、日本と密接な関係にある国への攻撃が発生した場合でも、武力が行使できるようになりました」
「憲法が禁じてきた集団的自衛権の行使に該当するものです」
確かに安倍政権は北朝鮮や中国の脅威論の波に乗って集団的自衛権のあり方を変えた。
さらに東京社説は「自衛隊が保有する防衛装備の『質』も変化しつつあります。これまでは専守防衛を逸脱する恐れがあるとして保有が認められてこなかった装備まで持とうとしているのです」と敵基地攻撃能力保有の問題を指摘する。
ここも「敵基地攻撃能力を持て」という産経社説と大きく意見が異なる。
「理想論」だけでは国際社会の理解は得られない
最後に東京社説は「専守防衛は二度と戦争をしないという決意表明です。為政者の言動に惑わされず、専守防衛の本来の意味を、国民一人一人が確認し続けなければなりません」と主張して筆を置くが、産経社説と東京社説のどちらが国民の安全を真剣に考えているといえるだろうか。
両極端の主張を展開する産経社説と東京社説を読み比べて分かることは、国際社会における日本の立ち位置があらためて問われている、ということだと思う。
敗戦国の日本が専守防衛という独自の立場を取って国際社会を納得させ、防衛的には米国の軍事力を利用し、しかもみごとなまでに高度経済成長を成し遂げた。戦後という激動期を日本はしたたかに生き抜いた。
日本はそのしたたかさを忘れてはならないし、今後もしたたかに歩んでいくべきである。そのためにはたとえば専守防衛を新たな時代に適した意味を持つものに変えることも必要だろう。性急な議論を展開する産経社説に比べて、東京社説の理想論は、耳心地はいいが具体策に欠ける。専守防衛のあり方を日本国内だけでなく、国際社会と共に考えるべき時期が来ている。ただ国内で「平和」を叫ぶだけでは、国際社会の理解は得られないはずだ。今こそしたたかな方策を考えたい。