いったいどこの国が日本に攻めてくるのか

「本土決戦」「戦略」「侵略」といった単語を並べ、いまにもどこかの国が日本に攻めてくるかのように書き立てる。

まるで防衛省内で幹部が部下の自衛隊員に訓示を垂れるかのようだ。これが一般読者に読んでもらう新聞社の記事であろうか。

沙鴎一歩の口は、開いたままふさがらない。

次に安倍首相を批判する。褒めたと思ったら今度はけなす。忙しい社説である。

「首相が問題点を認めながら、『専守防衛は憲法の精神にのっとった防衛の基本方針』として堅持すると表明したのは残念だ」
「憲法のどこにも専守防衛をとるとは書いていない。国民や自衛隊員の命を守ることではなく、日本を弱くする点に重きを置くおかしな憲法解釈の弊害である」

「日本を弱くする」とは幼稚な書き方である。強弱にこだわるのは子供の論理だ。たとえば産経社説は「日本を強くする」という言葉の意味を、どう考えているのだろうか。

お得意の「敵基地攻撃能力保有論」も主張

さらに「首相が専守防衛に言及したのは、長距離巡航ミサイルの導入方針に対して『専守防衛違反』という批判が出ていることに反論するためだった」と解説し、「今回の導入は専守防衛の範囲内として位置づけられる。しかし、将来は侵略国の中枢を叩く装備体系へと発展させ、侵略を阻む抑止力とする必要がある」とお得意の敵基地攻撃能力保有論を主張している。

北朝鮮が核・ミサイル開発を続け、中国が軍事的に日本海や南シナ海に進出している。そうした安全保障上の脅威論において日本の防衛を「専守防衛」から「積極防衛」に方向転回させるべきだという産経社説の主張は分かる。

ただそれをストレートに訴えてもインパクトに欠ける。

社説のテーマで専守防衛の問題を取り上げるのなら、専守防衛という概念の成り立ちから書き上げていかないと、無理がある。

東京社説は産経社説とはまったく逆の説明

次に東京社説を読もう。

東京社説は「『専守防衛』変質への憂い」との主見出しを立て、毎週月曜日に掲載される「週のはじめに考える」とのタイトルを付けた大きな1本社説として取り上げている。

まず東京社説は「専守防衛とは、日本独自の用語です」と説明し、防衛白書(2017年版)で「憲法の精神に則(のっと)った受動的な防衛戦略の姿勢」と書かれていると指摘し、「つまり国連憲章で認められた自衛権のうち、個別的自衛権しか行使しない、というものです」と説明する。

ここでさきほど触れた産経社説を思い出してほしい。

産経社説は「憲法のどこにも専守防衛をとるとは書いていない。国民や自衛隊員の命を守ることではなく、日本を弱くする点に重きを置くおかしな憲法解釈の弊害である」と指摘していた。

東京社説は産経社説とはまったく逆の説明なのである。

ここが憲法解釈の難しいところでもあるのだが、政府の防衛白書で「憲法の精神に則った」などとある以上、ここは東京社説に軍配が上がるだろう。