抽象的思考の基本的作法と多様性を身につけるイギリス流

イギリスの大学では、オックスフォードやケンブリッジ大学のカレッジ教育で行われる「チュートリアル」や「スーパーバイズ」と呼ばれるものを典型とする、少人数の演習型授業が重視されています。週に1度、課された宿題への回答を行い、その回答について教授と一対一で対話するのです。

自分以外にも、他の学生とのやりとりを眺めることから学べることも多いと思います。これを通じて、多角的なものの見方、発想の硬直性を憎む知的モラル・自己批判力が徹底的に鍛えられます。やはり教育は個人に与えられるもの。ひとりひとりに丁寧に施されて初めて人間は育つもの、という基本姿勢を感じます。「より違うものを得ることが、成長につながる」という考え方が根底にあるので、欧米の知的産業は多様性に対して貪欲なのです。転職回数もたいていポジティブに評価されます。

ちなみに、金融やコンサル等の欧米企業では、一般に人件費圧縮の際には、パフォーマンスの高くない労働者を解雇するよりも、高給取りの減棒から着手するそうです。外資系の優秀層のサラリーは半端なく高いので、削減のコスパがいいからです。すると高給取り=優秀な層はこれを受け入れず、希望退職したり、解雇されたりします。なので、ホワイトカラーにおいては解雇されることを次の会社の人事はあまりマイナス評価しないのです。

逆に、低賃金層は、他の勤務先が見つかりにくいことを本人もわかっているため、減棒や解雇を行ってしまうと、なるべく粘って訴訟に訴えたりするリスクがあります。なので、費用対効果を考えると彼らは養い続けていた方が得なのです。ともあれ、欧米のビジネスや学会において、競争力を高める上で、多様性が高いことは良いことであり、多様性が低いと批判される、低評価を受ける――これが自明のこととして通有されています。議論の主戦場は、むしろ「それをどのように測定するか」に移っています(差別反対という観点もありますが)。

結果として、欧米の知識階級では、専門分野を持ちつつも、複数分野で一定の知見を持つ、いわゆる「T字型」人材が増えることになるのではないかと思います。ひとつの専門分野を深めることで、普遍的真理に近づき、まだ知らぬものを評価する力、推測の精度を高める力を養う基盤になります。前述の、学部時代の専攻と職業上の専門分野がまったく違うことが当然視されることは、このことと同一線上にあると思いますし、あらゆる分野で投資判断能力が求められる金融業でイギリスが強いこととも無関係ではないと思います。

図1:「T型欧米エリート」間のネットワーク構造。自ら「ヨコ」に伸びつつ、ひとつの専門性を「タテ」に掘り下げる。

「T字型」の欧米エリート、「I字型」の日本職人

ひたすらひとつのことをやり抜くなかで独り普遍に至る日本流。個人指導で抽象的思考の基本的作法を身につけてから転職を繰り返す欧米流。門外漢であってもなるべく正確に本質を理解する力、つまり「普遍的思考」を身につけていくためのスタイルはひとつではないと思います。さらに他の流派の存在もありえるでしょう。

しかし、昨今の日本のビジネス論壇では、多様性の意義を強調する欧米流の論調が増えているように思います。未知なるものへの判断能力だけでは足らず、ビジネスにイノベーションや創造性を得ることで儲けたい、という風潮が強いからでしょう。日本流だと、究極の境地に至ったある専門家が、たまに井戸に入ってくる異物を評価する能力は身についても、自ら他の井戸に出て行く動きは少ないままなのです。実際、日本の保守的な業界、組織、地域の硬直性、閉鎖性がイノベーションを阻害している、社会を停滞させていると考える人は、若い人を中心に多いと思います。僕も賛成です。