報道において実名と匿名のバランスをどうとるか。今年10月、神奈川県座間市で男女9人の遺体が見つかった事件では、被害者の遺族が「匿名報道」を要請したにもかかわらず、多くのメディアはそれを無視した。情報社会学者の塚越健司氏は「メディアの対応には熟慮があったとは思えない」と疑義を唱える。実名報道の責任を、だれが取るべきなのか――。
神奈川県座間市、男女9人の遺体が見つかったアパート。(写真=時事通信フォト)

匿名報道を続けたメディアはほんの一部

今年10月、神奈川県座間市で男女9人の遺体が見つかった。この事件(座間市の方には心苦しいが、以下座間事件と呼ぶ)では27歳の男が逮捕されたが、報道ではこの男の名前だけでなく、9人全員の氏名や住所、職業などが報じられた。はたして被害者の実名を報じる必要があったのだろうか。

座間事件は、被疑者が「一緒に自殺することを持ちかけて部屋に呼び寄せた」と供述していると報じられている。自殺に関する報道は、慎重に行われるべきものだ。しかし11月に入り被害者の身元が判明しはじめると、メディアはこぞって被害者の顔写真を含めて実名報道に踏み切った(匿名報道を続けたメディアはほんの一部だ)。

これは被害者遺族の願いとは正反対のものだった。いち早く身元が特定された被害者遺族は、実名報道を控えてほしいと事前に報道機関へ書面を送っていた。ほかの遺族などからも同様の要請があったが、多くのメディアはそれを無視した。

報道機関によっては実名報道の是非について社内で議論があったようだ。しかし議論があったからといって、その「葛藤」は実名報道を行ったという事実に何らの正当性を与えるものではない。

自殺方法に関する報道は慎重を期すべき

実名報道の是非を巡ってはすでにさまざまな議論の積み重ねがあり、筆者がそこに専門的な観点を付け加えることはない。だが、被害者の遺族から「報道を控えてほしい」と事前の要請があったことを、報道機関は報じているのだろうか。実名報道を行うのであれば、少なくとも被害者遺族から自粛要請があったこととともに、実名報道を行う必要性について、説明すべきだっただろう。

例えば「いじめ自殺」のような事件においては、遺族の感情や、被害者の無念の思いなどから、内容によっては実名報道に公共性があるとみなされることがある。

その一方、自殺方法等に関する報道は慎重を期すべきだ。WHO(世界保健機関)はメディア関係者に向けて、自殺報道のための手引きを公開している。そこでは自殺の詳細な手段や、事件をセンセーショナルに扱うことについて、控えることが求められている(この手引きは日本語版もあるので、興味ある読者は一読をすすめる)。

日本のメディアは、報道と公共性に関する線引きについて、どれだけ議論をしているのだろうか。もし「何でも公開すべき」と考えているのだとすれば、それは報道の公共性を誤解したものである。