ちょっとした差異に気づく専門性も必要である。しかし、多くの人にとって、それは些細なこと。私はその些細な部分を犠牲にしてでも、もっと重要なことに全力を投入する人生でありたいと思う。

「大して差異がないものを、さもそれが致命的な差であるかのように騒ぐ現代社会の病理。『そんなことを考えている暇があったら手を動かしなさい。働きなさい』と昔ならどやしつけられていると思う」と飯島氏。(写真=PIXTA)

世の中に溢れるものに、大した違いなどないということで、もう一つ、私が最近カンカンになって怒っていることがある。

タバコのことである。

プレジデントの連載で何度も言及してきたように、私は長年「ゴールデンバット」を家でも執務室でも吸い続けてきた。しかし、日本たばこ産業(JT)は、ゴールデンバットの値上げを断行、揚げ句に口元にフィルターをつけてしまった。JTの主張だと「フィルターをつけたことで値上げした」ということなのだが、はっきり言って、値上げもフィルターも言語道断である。

一般の喫煙者ですら「ゴホゴホ」とむせ返るであろうガツンとした濃厚な味わいが、フィルターなどつけたら台無しだ。タバコの繊細な味の違いなど私にとってはどうでもいいことだ。「ガツンとくるか否か」「値段が高いか否か」なのだ。このことはゴールデンバットの愛飲者の共通の思いのはずだ。

私はタバコのフィルターをわざわざハサミで切って吸い続けた。長さは3分の2ぐらいになってしまうが、私が好きな銘柄を公言していることもあって、差し入れてくれる知人たちの思いに応えたいという気持ちもあった。しかし、面倒くさいという思いがフツフツと湧いてしまい、私は一大決心をすることにした。

私は、「ショートピース」を吸うことにする。ショートピースは、まだフィルターがついていない。もし、私に差し入れしようと思う知人が近くにいるなら、もうゴールデンバットは持ってこないでほしいと伝えてほしい。もしショートピースを頂けるのなら、代わりに私は10万円のお茶をお出しする。