京セラの成功はフィロソフィがあったから

私は、密かにうちの幹部を集めて、こう言いました。

「京セラが成功したのは、私の技術が優秀だったからだとか、時流に乗ったからだとか言われるけれどもそうではない。フィロソフィ(哲学)があったからなのだ。そうは言っても誰も信用してくれないだろうから、それを今度、私自身、第二電電という通信会社をつくって証明してみようと思う。通信について、私は技術も何も知らない。あるのは哲学だけだ。哲学一つで本当にこの事業が成功するのか、もし成功したなら、経営に哲学がどれほど大事かということが証明できるはずだ」と。同時に「そうはいっても無謀な挑戦には違いないので、失敗するかもしれない。そのときは1000億円まで金を使わせてほしい」とも言いました。

『活きる力』(稲盛和夫著・プレジデント社刊)

会社の利益を貯めた預金がかなりありましたので、そのうちの1000億円を使わせてくれ、そこまでやって成功しなかったら撤退する、と言い切ったわけです。ところが、ご存じの通り、第二電電は見事に成功しました。

「京セラの成功は、セラミックスが時流に乗ったから」だと周りは言っていたわけですが、私はそうではなくて、セラミックスというブームをつくったのは自分なのだという自負があります。

この10年くらいの間に、世界の材料工学の学会などで、「稲盛という男が、日本で京セラという会社を始めて努力をした結果、世界的なセラミックスブームが起こったのだ。彼がいなかったら、ブームはなかっただろう」という評価をいただくようになりました。そういう私の功績とは、正しい「考え方」というものがあったからこそ成し得たものなのです。

しかし、その考え方というのは、難しいものでも何でもなくて、ただ「人間として何が正しいのか、何が正しくないのか」という、単純でプリミティブ(素朴)なものにすぎません。

それらは、簡単に言うと、正義、公平、公正、誠実、勇気、博愛、勤勉、謙虚といった言葉で表されるようなことです。つまり正義にもとることなかりしか、誠実さにもとることなかりしか、勇気にもとることなかりしか、謙虚さを失ってはいないか、あらゆるものに対する博愛の心をもっているかということであり、そのようなことを実践するだけでいいのです。そういうものを大事にして、人間として恥ずかしくないような生き方をする、それだけで私はいいと思います。

そういうものを心の座標軸にすえて、どんな障害、どんな困難があろうともそれを貫いていけば、必ず成功するはずです。