【田原】山川さんはどうやってナンバーワンになったの?

【山川】お客様が何か一言返してくれるように話を振ることは意識していました。たとえば「車検いつですか」と聞くと警戒されて何も情報をくれませんが、「車検、来月でしたよね?」と言うと「何言ってんだ、違うよ。次の車検は秋だ」と教えてくれます。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。本連載を収録した『起業家のように考える。』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【田原】それでトップになれる?

【山川】もちろん一言もらえただけでは商談になりません。でも、ドアを開けてくれた方のところには繰り返し通っていました。お客様は「またかよ」と冷たい反応ですが、そのうちそれが快感になってくるんです。

【田原】嫌がられているのに?

【山川】飛び込み営業は、誰だってやりたがらないわけですよ。もちろん自分も嫌です。でも、みんなが避けていることをやり続けていくと、その先に何かあるんじゃないかと思うようになりまして。だから冷たくされるほど、ワクワクしていたところがありました。

【田原】じゃこの時期はたくさん稼げていましたか。

【山川】はい。ただ、借金も多かったです。学生のころから自動車レースが好きでお金を注ぎ込んでいました。借金は当時で800万円あったかな。新車販売の仕事はクレジットカード会社と仲良くなるので、彼らが貸してくれちゃうんですよ。いや、人のせいにしちゃいけないか(笑)。

【田原】それでどうしました?

【山川】このまま働いていても完済できるのは40代半ば。それは嫌だと思って、佐川急便の下請けの会社に転職しました。その次は宝石業。ここは軍隊みたいな会社で、トイレに行くのにも上長の机まで行って「トイレに行ってまいります」と大声で言わなきゃならない。息が詰まって、ここは半年で辞めてしまいました。そして次が、中古車販売のカーワイズ。ここで初めて中古車ビジネスと出合いました。

【田原】中古車ビシネス、やってみてどうでした?

【山川】カーワイズは中古車の買い取り事業でしたが、最高に楽しかったです。それまでの仕事は、新車販売でも宝石にしろ、こちらから仕掛けていかないと売れなかったし、しかも嫌がられました。でも、買い取りは逆。お客様が必要としてくれます。

【田原】ここは1年半で辞めて独立します。経緯を教えてください。

【山川】私が師匠と呼ぶカーワイズの代表が独立を勧めてくれました。中古車買い取り業界では、力をつけた従業員がお客様ごと持って独立するケースが少なくありません。お客を持っていかれるのは師匠も困るので、先手を打って「独立資金4000万円出すから、もう出ていけ」と。

【田原】なるほど。つまりのれん分けで独立したわけか。

【山川】はい。社名もワイズ山川で、最初はカーワイズ時代と同じ買い取り事業をやっていました。