アフリカ・モザンビークでモバイル銀行を立ち上げた男がいる。大学を中退後、先物取引、ITベンチャー、バイオ燃料づくりを手掛け、現在は無電化村にいる。「世界の金融分配システムを変えたい」という彼の真意とは――。

【田原】合田さんは京都大学に進学されて、6年で中退された。

【合田】もともと京大の文学部で純粋哲学を学ぶつもりでした。ただ、文部省高等教育局で局長をしていたおじから「純哲の教授が、最近は面白くない」という話を聞かされまして。あとで純哲に行きたくなれば転部すればいいと判断して、とりあえず法学部に入りました。もともとやりたかった勉強ではなかったし、山登りにハマって山岳部に入り浸りになったこともあって、結局は大学には行かなくなりました。

【田原】中退してどうしたんですか。

【合田】商品先物取引の営業会社に入って、1年と2~3カ月働きました。その会社にいたとき、お客さんからITベンチャーを一緒にやらないかと誘われて、そちらに転職しました。

【田原】そこではどんな事業を?

【合田】災害情報や緊急情報を携帯電話に配信する新事業に誘われました。いま地震が起きたら速報がきたり、電車の遅延情報が届いたりしますよね。それをガラケーの時代にやろうと。ただ、その事業をやろうとしていた専務と、お金を出した社長が揉めて、新事業は頓挫。社員は同事業をやっていた競合会社へ転籍することに。新事業のために新会社をつくりましたが、会社が箱だけになったので私が5000万円で買い取りました。最初に1000万円払って、残りは後払いの契約です。

【田原】そのときから経営者になったわけですね。やっぱりサラリーマンより経営者がいいですか。

【合田】幼いころから就職して働くイメージはなかったです。親戚に会社勤めの人は少なかったし、自分自身大学を途中でやめているので、組織で働くとは思っていなかった。