“サムシンググレイト”は存在する

【丹羽】勝負をしていれば、たとえ最善の判断をしても結果的に負けてしまうことがあります。そこからどう立ち直るのかということも、長い人生では大事なことです。羽生さんは1995年、7冠に初めて挑戦したとき、最後の最後に当時の谷川浩司王将に負けた。このときは悔しかったでしょう。

【羽生】もちろん残念でしたが、じつはやっている途中で、今回はダメなんじゃないかと思っていました。そう思わないほうがいいわけですが、思ってしまったものは仕方がない。その意味では、納得のいく負けでした。

【丹羽】翌年は見事に雪辱して、史上初の7冠を達成した。次の年は何が違ったのですか?

【羽生】2年目に挑戦したときは、自分の手を離れた感覚がありました。自分でやっているというより、まわりの後押しで指しているというか。1年目はそう思えなかった。それが結果を分けたんじゃないかと。

【丹羽】自分の能力を超えた“サムシンググレイト”が働いたのかな。

【羽生】どういうことですか。

【丹羽】アメリカに赴任していた30代のころ、穀物相場で数百万ドルの含み損を出したことがあります。当時の伊藤忠商事の税引後利益に匹敵する額です。当然クビを覚悟したし、辞表も書きました。しかし、しばらくすると状況が変わって、含み損が一気に解消されてしまった。そのとき私は、人間の力を超えた〝サムシンググレイト.とでも呼ぶべき存在がないと、この現象は説明ができないと思った。私は無宗教ですから、ここでいうサムシンググレイトは神という意味ではありません。「自分以外のすべてのもの」の意思の結集がサムシンググレイトです。羽生さんが2年目に自分の手を離れた感覚があったとおっしゃったのも、私の経験と似ていたのかなと思いまして。

【羽生】一神教という意味での神の存在を感じたことはないですが、自分が関与することができないものがあるという感覚はわかります。

【丹羽】もしそのような存在があるとしたら、1年目に羽生さんが負けたのも天の配剤だったのでしょう。