いまだ解けない分配型システムの呪縛

1940年体制は統制型、分配型システムだっただけに、失われた25年を経てもいまだ依存型、他力本願型思考に支配され、抜本的な対策を打ち出せない。現在の日本経済の姿は、かつて四大証券の一角だった山一證券を連想させる。

株式市場のバブルが終焉を迎えた1989年の大納会。平均株価が3万8915円の最高値を付けた瞬間、兜町回りをしていた私は、山一證券のディーリングルームにいた。そして、同社は1997年に経営破たんを来すことになったが、その背景にあったのはかつての成功体験だった。

1964年、株価の急落に伴う投資信託の解約ラッシュに見舞われ、山一證券は経営危機に陥った。田中角栄蔵相が決断した日銀特融で乗り切ったが、問題はその後だった。株式市況が回復した結果、4年後には日銀特融で融資を受けた資金を全額返済した。この悪しき成功体験が、バブル崩壊後の簿外債務の早期処理を怠らせ、再起不能の状況に自らを追い込んでしまったのではないか。

そして、いま。日本経済がかつての成功体験の残像を捨てきれずにいる。

「愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という教訓が、バブル崩壊後の失われた25年から導き出される。危機的状況を乗り切ってきた戦後経済の成功体験を盾に、根本的な変化を避けてきた結果、日本経済が活力を失いつつある。そして、現政権は1940年体制に回帰しつつあると著者は警鐘を鳴らす。

金融緩和、円安という対症療法に終始する経済政策で、日本経済の競争力が高まる道理がない。日本は目下、世界経済の構造変化に乗り遅れ、いわば鎖国状態に陥っている。為政者はさておき、企業家の中から賢者が出てくることを期待するしかないのだろうか。

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