集中力の源は何か?
私には周りの人たちから、驚かれることがいくつかあります。そのひとつが私の「集中力」です。飽くなき探究心だといいたいところですが、多岐にわたって没頭するところが普通ではないように映っているようです。
一方で、つい最近まで集中していたことすら忘れるので、付き合いの長い人は、実は私の「忘れる力」のほうに驚いています。私からすれば、集中して吸収し終えたら次へと進んでいるだけですし、過去に起きたことを抱えているほうが足かせになると思うのです。次に繋がらない余計なことは忘れたほうがいいのです。
この「集中力」と「忘れる力」には相関性があるのかもしれません。
集中力を高めるために特別なトレーニングを積んだ記憶はないので、おそらく、父の仕事の関係で転校を繰り返した挙句、学校の授業についていけずに落ちこぼれてしまった幼少期の葛藤と、無数の努力の賜物ではないかと思います。
幼少期にさかのぼると、人と同じことをやっても1番にはなれないから、人が目を向けないものを探すことがよくありました。子どもの頃、球技が得意でなかった私はマット運動や鉄棒、跳び箱などを頑張ったのを覚えています。人と違うことをするというのは、日本の社会ではなかなか勇気がいります。変人だと思われたり、異質だということで嫌われたりする可能性もあります。
ただ、人と違うことをやるのは今でもときどき辛くなることはありますが、時間とともに周りもどうしてそのような選択をしたのかを理解してくれるようになります。そのためには結果を残すしかありません。人と違うことをやる覚悟を決めたら、逆に絶対に上手くやらなければというプレッシャーが自分にかかります。この適度なプレッシャーが成功確率を高めてきたのだと思います。
結果が出るまではいろいろな批判にさらされたり、相手にされなかったりすることもありますが、自分を信じてやっていくしかありません。私は、このような努力を重ね、些細なことでも1番になれる何かを探し出してきました。学年で1番懸垂が多くできたり、逆立ちが1番長い時間できたりといった些細なことです。才能がなければできないことはあるものの、努力すればなんとかなることもたくさんあるということを子供ながらに学んだのです。
自分はみんなと同じように努力するだけではダメだと、とうてい敵わないと潔く自覚し、上手に自分なりの価値を生み出す方法を学んできたということだと思います。
そんなことをやってどうするんだと言われても気にとめなくなったのは、どんなことでも頑張れば1番になる可能性があることを知ったからだと思います。