破れたズボンで卒業式に

【窪田】出ました。でも卒業式に破れたズボンをはいて行ったんです。こういう時はきれいな格好をするものだってわかってたんですけど、逆に普段と変わらない格好でいるほうが格好いいと思ってたんですよね。斜に構えていたところがあるというか。持っていたズボンが破れていたという事実もあるんですけど、あえてそれをはいて行かなくてもいいんじゃないって言われたのに、はいて行ったんですよね。周りのお母さんたちには「卒業式なのに……」っていう目で見らましたけど。

補習校はそれ以外に大きな行事はありませんでしたよね。

【川端】文化祭とかはありませんでしたね。ただ、クリスマスはクラスでピザを食べたりしましたね。日本の風習を忘れさせないようなアクティビティも出来れば良かったんだけど、勉強で手がいっぱいだったんですよ。私は休み時間を与えませんでした。トイレは行きたくなった人だけが教室から出ていい、という具合で。

それもあって補習校に通う子どもたちには不満が多かったですね。また何故、アメリカの学校と日本語補習校の両方に通わないといけないのかを納得させて勉強させないといけなかったんです。算数の時間でそういう話はできないんですけど、国語の時間には「あなたがたはとても幸せなチャンスを与えられたんだよ、2つの国の言葉で学んだことはいずれ役に立つんだよ」って、よく話したものでした。

子どもたちにとって国語教育は大切です。話せても正しく書くことは難しいじゃないですか。だから宿題で毎日短文を書かせてました。その日に学んだ話題や漢字を使って5W1Hを考えさせ、読み手に伝わる文章を書く練習をさせたんです。

辛くて泣く子もいましたけど窪田君はめげることも泣くこともなかったわね。いつも前向き・活発で本当に接しやすかったです。

【窪田】宿題をしなかったからかもしれません(笑)。先生に怒られても辛いと思ったことは一度もなかったんです。気にかけてくれることが嬉しかったくらいですから。それくらい生徒のことを考えてくださってたんですよね。

【川端】日本の教科書の内容はアメリカで生活をする子どもたちにとって環境的になじめないんですよ。それをいかに浸透させるかが大変でした。それこそお正月がきたら百人一首の話をしたり。ただただ日本に帰った時に困らないようにしなきゃいけないって考えてましたよね。

だからしゃべるときも「お昼寝」ではなく「午睡」というように漢字を多く使わせてました。文語調ですね。漢字でしゃべる。短文を書くのもいいんですけど、習った熟語を使わせないといけませんから。そうしないと身につきませんしね。だからどうしても作文の宿題が多くなってしまうんです。みんないやがってましたけど、漢字を習っても使い方がわからないままだとどうしようもないですから。

【窪田】小学校6年生の時に先生に出会えたことは人生の宝だと思います。アメリカで受けた教育は自分にあっていたかもしれませんが、先生に教えてもらったから今があるって思うんです。一人でも多くの子どもたちが自分で芽をのばしていけるように、まだまだ川端先生には教える仕事を頑張って続けて欲しいです。

窪田 良(くぼた・りょう)●1966年生まれ。アキュセラ創業者・会長兼CEOで、医師・医学博士。慶應義塾大学医学部卒業後、同大学院に進学。緑内障の原因遺伝子「ミオシリン」を発見する。その後、臨床医として虎の門病院や慶應病院に勤務ののち、2000年より米国ワシントン大学眼科シニアフェローおよび助教授として勤務。02年にシアトルの自宅地下室にてアキュセラを創業。現在は、慶應義塾大学医学部客員教授や全米アジア研究所 (The National Bureau of Asian Research) の理事、G1ベンチャーのアドバイザリー・ボードなども兼務する。著書として『極めるひとほどあきっぽい』がある。Twitterのアカウントは @ryokubota 。 >>アキュセラ・インク http://acucela.jp
(柏野裕美=構成)
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