窪田良の半生を描いた『極めるひとほどあきっぽい』のストーリーに登場する川端英子先生は、窪田の人生に影響を与えた恩師の一人。大阪の小学校で教諭をしていた川端先生は後にアメリカの日本語補習校で教えることになる。そこで窪田少年に出会った。
子どもたちと本音で向き合い、努力することを体当たりで教えてきた川端先生との対談には、次世代を担う子どもたちを厳しくものびのびと育てるヒントがある。
なぜか口コミで生徒が集まる
【川端】少しお疲れのご様子だけど大丈夫?
【窪田】実は今日いつもより朝が早かったんです。7時から会議がありまして。
先生こそ今日は遠いところお越しくださってありがとうございます。最近はどうなさっていますか? 日本に戻られてからもずっと教えていらっしゃるんですよね。
【川端】本格的に教えるのは5年前にやめましたけど、それまではかなり精力的に教えてましたよ。夕方は小学生、夜は中学生、土曜日や日曜日は高校生が英語だけ習いにきたり、遠方からお弁当持って1日勉強に来る子もいたり。 最近は緊急に必要になったときだけです。
【窪田】アメリカでも日本語補習校での授業がないときはご自宅で教えていらっしゃいましたけど、帰国されてからも続けておられたんですね。私もそうでしたが、先生の授業はわかりやすいから、子どもたちも教えてもらっていて楽しいんでしょうね。合理的というか論理的な教え方をしてくださったので、考え方がクリアにわかるようになる。
ニュージャージーの補習校でお勤めになる前は何をなさっていたんですか? どういういきさつでアメリカに行くことになったのでしょう。
【川端】大阪府松原市の天美小学校で教師をしていたんです。小学校の教師を辞めた時に、お世話になっていた短大の先生がアメリカで勉強してみてはどうかと薦めてくださったんです。ニューヨークにご兄弟が住んでいらして、ホームステイをさせていただくことになって。コロンビア大学のアメリカン・ランゲージ・プログラム(ALP)に通いました。1年半勉強したあと、いったん日本に帰りました。
同じ日本人で研究者である主人とは、日本に帰る前にニューヨークで知り合っていて、結婚を機にニューヨークに戻ったんです。日本で教師をしていたことが伝わったらしく、渡米後すぐにニューヨーク補習校から電話がかかってきて教えてみないかという連絡がありました。ニュージャージーには補習校がJ校とN校とあって、J校に最初の2年、窪田君と出会ったN校が3年目の時だったんです。その後リバーデールにある補習校でも教えていましたね。結婚して4年目、子どもが3歳になったこともあって日本で育てるために帰国したんです。
アメリカで教えていた生徒の親御さんとはずっと交流があったせいか、帰国してからも、アメリカで教えていた子どもたちが夏休みや長い休みで帰国している時にお弁当をもって勉強にくるようになったんです。それを近所の人たちが見ていて、自分たちのお子さんたちの勉強も見て欲しいとおっしゃるので、ご近所の子どもたちも教えるようになったんですよ。