――世界の主な自動車メーカーはみな中国に進出していたので、最後発の参入でしたね。最後に残っていた東風は名門でしたが、経営は厳しかった。

【志賀】他社と同様に、最初は東風と合弁子会社をつくるスキームで交渉を進めていく。ところが、中央政府との交渉では予想だにしない展開になる。NRPの1年前倒しによる成功がほぼ見えた01年夏でした。当時の国家経済貿易委員会主任だった李栄融さんと国務院副総理だった呉邦国さんは、日産再建で名を上げたゴーンの経営手腕に着目。ルノーが日産に資本注入したような包括的資本提携、すなわち日産が東風に資本を入れての東風再建を提案してきたのです。中国戦略で出遅れていたゴーンは、すぐにこれを受け入れる。この結果、従来にはない方式での展開ができ、日産は一気に中国事業を拡大させていったのです。

ゴーンがいなければ、フツーの会社員だった

――日系で年100万台以上を中国で販売しているのは日産だけ。いま、中国では4位です。ところで、ゴーンさんに対して志賀さんはどういう思いを抱いていますか。

【志賀】ゴーンがいなければ、私は普通の人でした。部長にはなれたかもしれませんが。常務からCOOになってからも、本当に多くを学びました。NRPが成功した後、ゴーンは自身を「クラフトマン(職人)」と表現した。彼は経営のプロなのです。

――昨年、副会長になってから、大学で講義をする機会が増えているそうですが、どんな話をしているのですか。

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険しい「リーダーへの道」

【志賀】グローバル人材の育成が大半ですが、刺激的にやってます。例えば、軽自動車は日本でしか通用しないガラパゴスと言われますが、日本の大学生も同じくガラパゴスです。なぜ、軽は660㏄エンジンなのかわかりますか。国内の道路はみな舗装されているからなのです。ところが、外国の道はほとんどがデコボコ道。660㏄では走れない。日本の大学は、舗装された道を歩く学生ばかりを育てている。ある調査では、日本の大学生は授業以外に1日39分しか勉強していないんですよ。「志賀さん、ひどい!」と学生から非難されますが、刺激的でしょ。

12月のグローバルリーダー養成講座では、ケースを材料に自分の意見を持っていただきたい。グローバル人材、グローバルリーダーになっていく糸口に、私はダイバーシティ(多様性)があると考えます。違いを受け入れて、互いに距離を縮めていくのです。

日産副会長 志賀俊之
1953年、和歌山県生まれ。和歌山県立那賀高校、大阪府立大学経済学部卒。76年、日産自動車入社。企画室長、アライアンス推進室長を経て2000年常務、05年最高執行責任者(COO)、13年副会長に就任。
(永井 隆=構成 的野弘路=撮影)
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