「火の国」と呼ばれるようになったワケ
アゼルバイジャンの巨大開発構想を支えた富は、一体どこから来たのか。その答えは、豊かな天然資源だ。地中から豊かに噴き出す天然ガスの炎に象徴される。
丘の斜面に沿って10mにわたり、地下から炎が立ち上がり、高く立ちのぼっては揺らめく。地表に漏れ出した天然ガスが自然に燃えるのだ。バクーから北へ車で30分のヤナル・ダグ(燃える丘)だ。ガイドのアリエワ・ラヒラ氏は2018年、CNNの取材に、「この火は4000年燃えて、一度も止まったことがない」と語っている。たとえ雪が降っても、地面に届く前に溶けてしまうという。
この丘の火自体は1950年代に燃え始めたとする説もあるが、こうした現象は古くから国のあちこちで見られた。13世紀にはすでに、マルコ・ポーロがこうした炎について書き残している。シルクロードの商人たちが語り伝えるうちに、「火の国」の名が広まっていった。
炎は信仰とも深く結びついており、バクーの東にはインドから来た人々が17〜18世紀に建てた火を祀る寺院「アテシュギャフ」が残る。寺院の中心は、天然ガスの噴き出し口の上に建てられた丸屋根の祭壇だ。
だが19世紀後半、周辺で油田開発が進み、「富の神」への崇拝が強まると、礼拝に訪れる人々は途絶えた。1969年まで祭壇で燃え続けていた天然の炎は、今はもうない。現在では観光客が訪れた時にだけ都市ガスで火が灯される。
劇場や公園までそろえた海上油田のその後
ソ連時代、石油採掘は海にまで及んだ。1949年に掘削が始まったバクー沖約100kmの海上油田ネフト・ダシュラルの上には、やがて街が築かれていく。約2000の油井を結ぶ橋は総延長160kmを超え、街には劇場や公園までそろっていた。最盛期の住民は5000人を超えた。
映画監督のマルク・ウォルフェンスバーガー氏は、この街のことを初めて耳にしたとき、作り話だと思ったという。1990年代後半に給水船に乗ってここを訪れた同氏は、CNNに「海の真ん中の高速道路」のようだったと語る。軍の船に守られた街は、まるで「タコのように」延びていた。
同氏によると、2008年に撮影のため再訪したときには、橋のところどころがすでに大きく崩れ落ちており、「まだ活気は十分あったが、同時に多くのものが崩れつつあった」という。2024年時点で人口は約2000人に減った。
ソ連崩壊後の石油ブームに乗り、さらに大きな夢が生まれた。
舞台は海の上。富豪イブラヒム・イブラヒモフ氏が思い描いた人工島「カザール諸島」の構想だ。2010年3月、ドバイを発った機内で、この計画がひらめいたという。手元に紙がなく、新品のシャツを包んでいた薄紙に20分で全体図を描き上げた。
それでも本人は、ドバイを手本にしたものではないと言い張る。もっとも、著名ジャーナリストのピーター・サボドニク氏は、ニューヨーク・タイムズ・マガジンへの寄稿で、構想に描かれたガラスと鋼鉄の塔の多くが帆の形をしたドバイのホテル「ブルジュ・アル・アラブ」に似ていると指摘している。

