意図せざる結果を招いた“停止線”
象徴的なのが、交差点の手前に引かれた停止線だという。
だんじりは、綱をもつ人たちに曳かれて周回コースを進む。交差点の手前まで来ると、停止線でいったん止まる。そこから数百人が一斉に走り出し、勢いがついたところで交差点に入り、後ろの梃子を操る人たちが車体の向きを変える。見せ場のやりまわしは、この停止線から始まる。
「危ないから1回止まりましょうと決めたのですが、逆に、いわゆる『よーいドン』という注目すべきポイントが浮き彫りになったという面もあると思います。ここまではとりあえず移動で、ここからは本番ですという雰囲気になりますから」(有本氏)
安全対策に偽りはないが、皮肉にも、停止線からの走り出しが祭りのハイライトとして切り取られやすくなった。安全のために決めたことが、狙っていなかった効果を生む。社会学で「意図せざる結果」と呼ばれるものだ。
1994年、カンカン場に大型の観覧席が設けられた。きっかけは岸和田警察署長からの要請だった。しばしば暴力沙汰も起きていた交差点に、椅子に座って安全にやりまわしを見られる席ができた。
座席ができれば、観客の視線はそこに集まる。各町の技を披露する舞台が、はっきりと形として整い、今では例年30~40万人が訪れる。周辺の地域では、だんじりを新調するのを機に、大阪市近郊に多い小型で軽い「上だんじり」から、やりまわしに向いた大型の岸和田式「下だんじり」へ作り替える町も出ている。
少子化の影響
見られれば、張り切るのが人間の性だ。有本氏は若者たちの気持ちをこう話す。
「人がたくさんいると、ちょっとワクワクしてくるところもありますし、歓声が上がると、得意になるというか、うれしい気持ちになる。柳田國男が指摘するように、『見物と称する群れの発生』が祭りの変えたのです」
ただ、見せ場を磨く理由は、観客を喜ばせることだけではなかったから話はややこしい。
祭りが盛大になるほど、曳き手も、警備に当たる人も多く要る。ところが1970年代後半以降、町内だけで担い手をそろえることが難しくなった。働き方が変わって休みは土日になり、子や孫の世代は郊外へ転出し、少子化も進んだ。
有本氏は46歳。取材をしている中で、有本氏と同世代で子どものころから祭りをやっている人たちに話を聞くと、彼らは若いころ、上の世代からこう迫られたという。
「自分ら、何人集めてこれんねや」
当時は、自分たちが勢いよく速くやるために人を集めてこいという話だった。4トンを走らせる動力は人の力だけで、綱を曳く人数がそのまま勢いになる。地元の祭りがいつのまにか「集めてこないと成り立たない祭り」に変わるまで、それほど時間はかからなかったと有本氏は語る。

