品質は二の次、優先は完成と利益
ネピドーの建物は、外見こそ豪華だった。だが建設現場では、品質は二の次。優先されたのは、完成を急ぐことと、利益を最大化することだった。
「道路や建物のコンクリートを練るとき、セメントを減らしていた」。冒頭で紹介した技術者は、イラワジーにそう語っている。1回練るごとに5袋減らすだけで、まとまった金を手にできたという。手を抜いた分だけ建物の強度は落ち、そのせいで地震の被害は大きくなり、死傷者も増えたと、彼は打ち明ける。別の技術者によれば、工事にはまともな計画もなく、品質管理も行われていなかった。ひたすら急かされ、決まって「いつ終わるのか」と聞かれたという。
庁舎や職員住宅をはじめ、首都の建設工事を仕切ったのは、軍の工兵隊と、当時の軍首脳の子どもたちが経営する会社、そして軍と縁故のある企業。ネピドーが「腐敗の都市」と呼ばれてきたのも、こうした構図があったからだ。
議事堂を手がけたのは、テイン・セイン政権でスポーツ相を務めたティン・サン氏の会社、ACEだった。イラワジーは、ACEが首都に建てた建物には耐震設計が施されていなかったとみる。2011年の完成から、わずか14年。議事堂は地震でひび割れ、大きく損壊した。
職員住宅の4割近くが住めない状態に
ただ、首都のすべての建物が手抜き工事だったわけではないと、イラワジーは伝える。同誌がその例に挙げるのが、軍や政権の元幹部が暮らす一画、ポッバティリ郡区の「6軒の豪邸通り」だ。首都移転を決めたタン・シュエ氏や、かつてオバマ氏を迎えたテイン・セイン氏ら軍の元首脳が、退任後、警備に守られた私邸で暮らしている。この豪邸通りも、中将たちが暮らす住宅地も、地震の被害は軽く済んだという。
たしかに、豪邸通りでも天井や柱が損傷したとの未確認の情報はある。だが、死傷者が出たとの報告は上がっていない。大きな被害が出て、犠牲者が相次いだのは、主に一般の職員が暮らす住宅や庁舎、道路、医療施設だった。
豪邸通りの住人とは対照的に、職員住宅で暮らす一般の職員の多くは、住まいも、出勤先の庁舎も、同時に失った。
崩れ落ちた住宅では、職員とその家族ががれきの下に取り残された。イラワジーによると、ある政府職員は、視察に訪れた軍政関係者の一団が一切救助に手を貸さなかったと証言したという。
同誌が報じた軍政の流出文書によると、初期段階の調査ですでに、9つの区と2つの地域にある職員住宅1556棟のうち、4割近い610棟が倒壊したか、大きく損壊して住めないと判定されている。
