搾取され尽くした両親の最期

今年1月。80歳だった母親は心筋梗塞を起こして入院。その後、2度ほど大きな手術をし、3回ほど転院したがそのまま3月に亡くなった。

母親を亡くした86歳の父親は急激に弱っていった。腎臓病のために通っていた透析にも82歳から通えなくなっており、昨年受けた介護認定は要介護4。家で介護することができなくなったことから特養に申し込むと、6月半ばには入所することができた。だが、8月下旬、母親を追うように亡くなってしまった。

両親を失った榎木さんは言う。

「子どもの頃から弟の世話や両親のケアをしなければならず、自分の時間が削られてきましたが、振り返ると不思議につらかったとか恨みとか、そういうものは感じません。ただただ、突然介護が終わり、また10年働き続けてきた仕事を辞めたせいかもしれませんが、呆然としています」

榎木さんは、以前はまだ幼い息子を抱えながら、家から2時間近くかかるアパレル会社に勤めていたが、東日本大震災を機に、遠方通勤にリスクを感じ、通勤時間30分のアパレル会社に転職。そこへ子育てに加え、両親の介護が始まり、仕事の欠勤や遅刻、早退が増えると、会社の理解がなく揉めるように。結局父親が亡くなる直前の7月、退職を決めていた。

「親としては本当に最後まで頼りない人たちでしたが、子どものような素直で明るい2人でしたので、最後は介護スタッフに愛されて、とても大事にされて逝きました。私も子どものころから家族の世話をしてきて、介護でも最後の最後まで2人を誰よりそばで看てきたので、後悔もありますが、やり切ったという気持ちのほうが強いかもしれません」

温厚だったはずの父親は、亡くなる2年ほど前から母親や榎木さんに怒鳴ることが増えた。榎木さんも両親の通院付添で仕事に行けず疲弊していた時、些細なことで父親が怒鳴り出したため、つい「誰が介護してやってると思ってるんだ!」と殴りかかってしまった時があった。その時、間一髪のところを止めてくれたのは、夫と息子だった。

「一番頼りになったのは今年17歳の息子かもしれません。父は息子の言うことなら怒らず聞くため、息子が間に入ることでスムーズに進みました。『死んじゃったらもう何もしてあげられなくなるってことが、お祖母ちゃんが亡くなったときにわかったんだ』と言いながら、入浴も食事介助や準備もしてくれていました」

両親の介護が始まった時、息子は中学に入ったばかりだった。一時、学校でちょっとしたトラブルに巻き込まれたことがあったが、仕事と介護に追われる母親に気を使い、自身で解決したという。榎木さんは「思春期の難しいときにもかかわらず、聞き分けの良い息子にしてしまったのかもしれない」と悔やんでいる。

弟は結婚して近くで暮らしていたが、連絡も手伝いもなかった。

「自分も世の中に何か返せないか」

現在榎木さんは、お世話になってきた介護関係者の姿に感動し「こんなに助けてもらったのだから、自分も世の中に何か返せないか」と考え、転職活動の末、介護関係の会社の広報職に内定。介護職員初任者研修(旧ホームヘルパー2級)の資格を取るために学校に通っている。

一方、伯母は90歳を超えてなお、いまだに弱者をコキ使ってお金を稼ぐことに躍起になっており、認知症になった伯父は、息子がいるにもかかわらず、施設で孤独な生活を送っているようだ。

「きっと伯父伯母の最期は寂しいものになるでしょうね。本当はもう一度くらい伯父に文句を言いたかったし、両親が亡くなったあと、伯母の会社に怒鳴り込んでやろうかと思いました。怒涛の1年でしたが、今私はすごく楽しいので、気持ちを切り替えて、新しいことに向かってエネルギーを使いたいと思います」

榎木さんは今、「私はやり切った」という気持ちが強いという。過酷な人生を送った両親を守り、寄り添う中での小さな後悔はあるものの、人として娘として、できる最善の答えを出してきた。その選択に納得できたから得られる“幸せの境地”なのかもしれない。

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