厚生労働省によると、2025年3月時点の生活保護の申請件数は、2万2484件(前年同月比867件増加、4.0%増)。生活保護を開始した世帯数は、2万395世帯(同1062世帯増加、5.5%増)。賃金は上がらず、物価が異常に高騰する中、さらに生活保護が必要な人々が増えるのは必至な状況だ。
介護や毒親の取材現場で筆者が以前から気になっていたのは、経済的な困窮者が生活保護を忌避するケースが多いことだった。その背景には、不正受給問題はさることながら、生活保護の仕組みの複雑さや“得体の知れなさ”が影響しているのではないか。そんな問題意識を胸に、かつての生活保護受給者の話を通じて制度の実態を明らかにし、正しく救われる人や機会を増やしていきたい。
人生10回以上引っ越し…木片のように漂う
山陰地方で生まれ育った斉田勝さん(仮名・50代)は、これまで10回以上引っ越しをしている。それもほぼ荷物はなく、あてもない引っ越しだった。
最初は18歳の時。東京へ向かった。その後、何度か地元に戻っては上京を繰り返し、大阪、沖縄、福岡、京都で暮らした。
そして、彼はこれまで3回、生活保護の受給申請をしては卒業を繰り返している。
なぜ何度も引っ越しをし、生活保護を3回も経験したのか。そこには彼の生い立ちが深く関わっていた――。
経済的DVの父親と母親の傷害事件
斉田さんの両親はお見合いで出会い、父親が30歳、母親が28歳の時に結婚。翌年に兄が、その5年後に斉田さんが生まれた。
両親の夫婦仲は良いとは言えず、口を開けば夫婦喧嘩に発展し、時には母親が包丁を持ち出すこともあったという。
「子どもの頃、僕は家というものが嫌いでした。家は本来、外で傷ついた人間が帰ってくる場所なのだろうと思います。学校で嫌なことがあっても、友達とうまくいかなくても、仕事で怒鳴られても、帰れば安心できる場所。でも僕にとっての家は、玄関の扉を開けるまで、その日の家の中が平和なのか戦場なのか分からない。そんな場所でした」
原因はいつも「お金」だった。父親が家に金を入れない。母親はそれに耐えられなかった。父親はトラックの運転手をしていたが、「もったいない」という理由で家にお金を入れず、酒や趣味の釣りなどに使っていたのだ。斉田さんたちの生活は、母親が呉服屋で働くことで成り立っていた。
「なんでお金入れへんの!」
母親の甲高い叫び声が家中に響いた。斉田さんはその声を聞くたび、身体が固まった。
父親も黙ってはいない。すると母親の声はさらに大きくなる。物が壊れる音。扉をバタンと力任せに閉じる音。斉田さんは耳を塞ぐ。
5歳違いの兄との仲は悪くなかったが、無口で家族に無関心。小学校低学年の斉田さんは独り、自分の部屋の中でただじっと嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。
斉田さんが小6だったある日。夫婦喧嘩で母親が台所にあった包丁を持ち出し、父親の腕を数カ所刺した。
「傷は深くはありませんでしたが、そんなことより、ただ怖かったです。『父親が死ぬかもしれない』『僕も殺されるかもしれない』と思い、震えていました」
すると家に警察が来た。隣人が通報したようだ。斉田さんは安堵したと同時に、「うちは普通の家じゃないんだ」「恥ずかしい」という気持ちが湧き上がった。

