息子に包丁を向ける母親

しかし、幼かった斉田さんは不思議だった。両親は常にいがみあっていたわけではなく、笑って話していることもあったからだ。

そんな光景を見るたび、斉田さんは混乱した。

「だから僕は、いつの間にか人間の感情を信用できなくなりました。優しい人も、突然怖い人になるかもしれない。愛していると言いながら、傷つけることもある。今振り返れば、典型的なDVのある家庭だったのだと思いますが、当時、そんな知識はなく、目の前にある家庭が世界のすべてです。だから僕は考えました。『とにかく生き延びよう』と。そして、その方法をあれこれ模索しました」

斉田さんは人の顔色を読む子に育った。自分が何をしたいかより、相手が怒らないかのほうが重要だったのだ。

両親は、その後も激しい夫婦喧嘩を繰り返した。激昂した母親が、包丁を持ち出すことも頻繁にあり、父親が一時避難して家からいなくなると、母親が斉田さんに八つ当たりすることもあった。

包丁
写真=iStock.com/Promo_Link
※写真はイメージです

「叩かれたり、『死ね! 産まなければよかった!』と罵声を浴びせられたりすることは日常茶飯事で、僕にまで包丁を向けることもありました。両親が大喧嘩する声や音だけでも怖かったのですが、突然包丁の先端が自分に向けられた時の恐怖は忘れられません」

子どもの頃の兄は物静かなで、家でも目立たなかったため、母親から八つ当たりをされたことはなかった。

家のことのみならず、子育てに対しても父親は無関心で、学校行事に参加してくれるのはいつも母親だけ。10歳くらいの頃に1度だけした記憶があるという2泊3日の家族旅行は、セダン型の車で出かけて、車中で一家4人が夜を明かすという驚くべき旅行だった。

「たぶん、ものすごいケチだったのだと思います。それでも母は体裁を気にして離婚はしませんでした」

人前で話すのが苦手な子

人前で話すことも苦手だった斉田さんは、中学校に上がり、中2の夏にいじめの標的になった。1学年上の先輩に目をつけられたのだ。

その先輩に50発以上殴られた翌日から不登校になったが、その先輩が卒業した後、再び登校できるように。卒業式は、多くの父兄の視線が集まる体育館を想像すると過呼吸で倒れそうだったため、欠席した。

高校に進学した斉田さんは、心機一転して人生をリスタートできればよかったが、全く新しい環境で対人恐怖症のような状態になってしまう。結局、友達ができなかったため、1年の9月で中退。母親は最初、「高校出ておかないと恥ずかしい」と反対し、高校の担任と共に引き留めたが、斉田さんは「辞めて働きたい」の一点張り。母親は折れるしかなかった。