後期高齢者過ぎまで搾取された両親

高校進学の時期を迎えた頃、見かねた伯父が両親に高校の学費と、その後の専門学校の学費を渡してくれたようで、榎木さんはデザインの専門学校を出て店舗設計と施工をする会社に就職した。

「母からはずっと『伯父さんのおかげであなたたちは上の学校に行けた』と言われましたが、ありがたがることはできませんでした。それまで伯父は誰よりもそばにいながら、私たちを救おうとしたことは一度もなかったんですから。当時はむしろ『学費の高い学校に入って、伯父のお金を思い切り使ってやる』くらいの気持ちでいました」

【図表】男性(一般労働者)の生涯賃金
出典=独立行政法人 労働政策研究・研修機構「ユースフル労働統計」

20歳で就職してしばらくすると、榎木さんは一人暮らしを始めた。

22歳で出版社に転職し、その会社でのちに夫となる同い年の男性と出会う。34歳でアパレル会社に転職すると、35歳で結婚。

ここが、冒頭で紹介した時期である。

外食業界に転職していた夫は異動となり、榎木さんは仕事を辞めたくなかったため、夫は単身赴任に。妊娠した榎木さんは産休後、両親が暮らす実家で同居する。36歳で息子を出産したが、夫の単身赴任はなかなか終わらず、両親の希望もあり、榎木さんは同居し続けることを決めた。

同居後は、榎木さんが両親の財政状況を調べ、管理。安い給料でこき使われている両親の財政を知った榎木さんが何度勧めても、両親は一向に退職しようとはしなかった。完全に洗脳されてしまっていたのだろう。

そして十数年後、母親が前期高齢者入りしたあたりから、脊柱管狭窄症、心臓弁膜症、心不全と続けざまに病魔に襲われた。それまでの仕事の影響が出ているのは明らかだった。

母もようやく重い腰を上げて、伯父の会社を退職。だが、2022年7月に76歳で化膿性脊椎炎を患い、入院や手術が必要な状態になった。

一方、父親は80歳の時に仕事中、ブレーキ操作を誤って壁に激突し、車を大破させてしまう。幸い打撲程度で済んだが、もともと義足だった父親は、これを機に40年以上も酷使された会社を退職することに。退職直前の勤務時間は、朝5時半~19時だった。

当時住んでいた家は伯母の名義だったが、退職したからといってさすがに「出ていけ」と言うほどの鬼ではなかったようだ。名義をしぶしぶ榎木さんの父親に変更すると、伯母は実印と権利書を渡してきた。

母親の最後の給与は、フルタイムで働いても月ほぼ2万円。父親は10万円前後。そして驚くことに、2人とも長年にわたり身を粉にして働き詰めだったにもかかわらず、退職金はゼロだったという。

両親合わせて給料12万円程度では、貯金ができないのは無理もない。晩年、医療費の不足が発生したが、足りない分は榎木さんが負担した。

両親は退職後、ただ家で一日中テレビを見て過ごした。父親は唯一犬の散歩をするのが日課だった。退院後の母親は要介護4。念のため82歳の父親にも受けさせると、要介護2だった。

テレビのリモコンを操作しているシニア女性の手元
写真=iStock.com/Lolkaphoto
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