球団当初から絶えない「お家騒動」
1リーグ時代の優勝回数は巨人の9回に次ぐ4回と、紛れもなく強豪球団だった。しかし戦後、2リーグに移行する際に、当初は春の甲子園の主催者である毎日新聞との誼で、毎日オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)が新規参加するパ・リーグに加盟する予定だったが、巨人との「伝統の一戦」がなくなることを恐れ、土壇場でセ・リーグ加入を決めた。
これに怒った毎日側は、阪神からエース・若林忠志、中軸打者・別当薫、正捕手・土井垣武、内野手・本堂保次、巨人時代に首位打者を2回獲得した外野手・呉昌征らをごっそりと引き抜いた。この時のダメージが深刻で、セ・リーグ初優勝は1962年と時間がかかった。
さらに、「内紛」も絶えなかった。1956年には選手兼任監督の藤村富美男の退任を選手が要求する「藤村排斥事件」が起こる。その後もチーム内での派閥争いが激しく、ペナントレースどころではない時代が続いた。「年俸高騰を考えれば優勝しないほうが良い」と嘯く経営陣さえいたという。
1964年に2回目の優勝を果たしてからは勝てない期間が続いた。この間に巨人は1965年から73年まで空前のV9(セ・リーグ、日本シリーズ9連覇)を果たすなど、優勝回数や勝率で大きく水をあけられた。
「黄金時代」の源泉
3回目の優勝は1985年。バース、掛布雅之、岡田彰布ら強打者の活躍で初の日本一まで上り詰めた。あまりの嬉しさに、大阪・道頓堀川にダイブするファンが続出するなど、一大ブームとなったが、主力選手が抜けたり衰えたりもあり、1986年から2002年までの17年間で最下位が10回と、暗黒時代に突入する。
その間、野村克也(1999年~2001年)、星野仙一(2002、2003年)と、外部から監督を招聘して立て直しを図り、2003年、そして岡田彰布1次政権2年目の2005年に優勝するも、以後はまた低迷した。
しかし2023年、岡田彰布2次政権1年目に18年ぶりセ・リーグ優勝、38年ぶり日本一に輝くと、2025、26年と、藤川球児監督の下、リーグ連覇を果たした。球団創設90年を経て、ようやく「黄金時代」の到来を予感させる。
その源泉は「育成の力」だ。これまで巨人と張り合い、他球団からトレードやFAで選手を数多く獲得してきた。中には活躍した選手もいたが、期待を裏切る選手の方が多かったように思う。バースの再来を求めて獲得した外国人選手も多くは「外れ」だった。

