日本から見た「フランスの移民」

この歴史は、たとえば6年前の新型コロナウイルス感染症拡大への対応にも通じる。同国では、日本よりも早い2020年3月23日付の政令で、移動や集会を制限するいわゆるロックダウンを実施した。仮にこうした法令を出さなければ、上記のように力ずくで自分たちの自由・平等・博愛を求めて街頭に出る人々を止められない。そんな危機感が、日本よりもはるかに厳しい規制を打ち出させたのではないか。

まさに、こうしたお国柄の違いが、今回の日本における反応の背景にあるのではないか。

たとえば、日本から見たフランスの「移民」とは、サッカーのフランス代表チーム監督のジネディーヌ・ジダン氏だったり、エースのキリアン・エムバペ選手だったりするのかもしれない。

1998年には、自国開催のワールドカップで優勝した。そのときの同国代表について、ジダン氏を中心とするチームが、とりわけ日本では「移民」と絡めて報じられた。読売新聞は、決勝を前にした1998年7月12日朝刊で次のように書いている。

仏チームの構成は、かつて世界中に植民地を保持し、その結果でもある移民問題への取り組みが最も重要な政治課題となっているフランスの現在の姿を見事に反映している。

「28年前の報道」と比較すると…

ジダン氏は、ラ・マルセイエーズの由来となったマルセイユに生まれた「移民」2世である。読売新聞のこうした論調が、現在から見ただけではなく、当時の言い方としても妥当だったのかどうかは、検証の余地があろう。

ただ、28年前も今も、「移民」に原因というよりも、そこに「問題」を見てとろうとしてしまう日本の視線が変わっていないのではないか。実際、日本では法律用語として「外国人」はあっても、「移民」は使われていない。

また「民度」も同様だろう。「民度の差」という表現を用いて、あたかも大規模なデモも暴動もほとんど起こらない日本のほうが優れているかのようなコメントが見受けられる。「移民」とは対照的に、「民度」に対応するフランス語は見つけづらい。

2026年10月17日、フランス・パリのオスマン大通りで、金属製のバリケードの背後で燃え盛る大きな火のそばに立つ2人の若者の夜間のショット。倒れたバリケードや瓦礫の中に立つ一人の男性が、腕を上げている。
写真=Raphaël Hulleu/Hans Lucas/Hans Lucas/AFP時事通信フォト
2026年10月17日、フランス・パリのオスマン大通りの様子

少なくともフランス社会における「移民」ということばの歴史も重みも、私を含めた日本に長く住む人たちには、一朝一夕にはわからないし、同じように「民度」という単語であらわされる何かもまた、フランスに生きる人たちには通じないのではないか。