1968年の「五月革命」との共通点

さらに武力や暴力は、戦場のような特殊な場に限られない。フランス革命が、パリの街中で起きたように、街頭での抗議やデモが、政治のみならず、人々のさまざまな意思をあらわす手段として、常に使われてきた。

私が大学時代に教えを受けた大浦康介・京都大学名誉教授は、『フランス論2.0』(人文書院、2025年)のなかで、フランス人の特徴として「おしゃべり」や身体性を挙げている。ことばやからだで自分たちの考えをそのまま表現する。それこそが同国の歴史にほかならない。

たとえば、今回の暴動としばしば比べられる、1968年5月のいわゆる五月革命もまた、カルチェラタン(ラテン地区)から広がった。当初は大学制度への不満の高まりから始まった学生を中心にした運動が、労働者や、さらには移民も連帯した大規模なストライキへと広まった。

フランス政治を専門とする大嶋えり子氏は、アルジェリア独立戦争との影響関係に着目し、1968年5月の運動がフランス社会において「排外主義を助長するとともに、移民に対する差別との闘いの場ともなったといえるだろう(※1)」と分析している。

2019年2月9日、「黄色いベスト運動」の様子
2019年2月9日、「黄色いベスト運動」の様子(写真=Norbu Gyachung/CC BY-SA 4.0/Wikimedia Commons)

「街頭」が政治の舞台になる背景

58年前もまた、今回と同じように「移民」はキーワードとなった。他方で、8年前に取り沙汰されたジレ・ジョーヌ(黄色いベスト運動)では、燃料費の引き上げや生活コストへの不満が背景にあり、都市周辺部に住む人々の暮らしに対する怒りが原動力であり、「移民」は大きな注目を集めたとは言いがたい。

ただ、フランス革命以来、街頭での集団行動は、政治的な意思表示や既存の秩序への異議申し立ての場となってきた。平和なままのデモもあれば、衝突や暴力を伴う局面もあったが、自由や平等という理念と街頭での闘争が歴史のなかで結びついてきた。同国での暴力は、決して隠されてきていない。

それどころか逆に、いつも街のなかで大手を振って真っ当な権利として表現されてきたのであり、先にみた国歌ラ・マルセイエーズと直結している。

かといって、フランス人が暴力的だなどと結論づけたいわけではない。それこそ、今回の暴動の原因を「移民」や「民度」に結びつける以上の短絡だろう。

そうではなく、政治の変化と街中での時に暴力を伴う意見表明が分かちがたくかかわってきたフランスの歴史を確かめたい。同国の標語である「自由・平等・博愛」は、他国はもちろん、神からさえ与えられるものではない。時には自分たちが身を挺して武力を伴ってでも、さらにはルイ16世の首を刎ねたように人を殺してでも獲得し、守り続けなければならない。

※1:大嶋えり子「移民との連帯 アルジェリア独立戦争から68年5月へ」『人文学報』第515-15号、2019年、87ページ