ただ眺めていればいい
誰でも、受動的攻撃性を人に向けたことはあるものだ。だが、年齢を重ねると差が生まれる。成熟し、言葉に気をつけるようになる人と、そうならない人がいる。相手が一時的に弱っていて、思いがけず冷たい言葉が口から出てしまったようだ――そんな場合は受け流していい。だが、これが繰り返されると、心地よく満たされるはずだった関係が、心をすり減らすものへと変わる。
隠れたナルシシズム(自己愛傾向)がある場合、受動的攻撃性と被害者意識はお決まりのパターンだ。こんな物語が常に頭にある。「私の人生は他の誰より大変だ。それはお前のせいだ。だから、私にこれ以上求めてはいけない。私の期待を裏切ってはいけない。そんなことをすれば、私はもっと傷付く。常に、お前が加害者で、私が被害者だ」。この暗黙のルールに支配された関係は、健全ではない。
この行動の背景にある理由を理解すれば、扱いやすくなる。受動的攻撃性を向けられると、あなたは自分を疑う。自信が持てなくなる。だが、これは相手自身の中にある対人関係のパターンだ。正当化する必要も、許す必要もない。ただ、距離を取って眺める。自分ではなく、相手の問題として客観視する。
率直に言って、受動的攻撃性は、破壊力がある。そして犯人がわかりにくい。だからこそ使われる。
自分の問題ではなく相手の問題
そんな厄介な人との付き合い方は、誰も教えてくれない。さらに受動的攻撃性は、使った本人も傷付ける。
腹を割って話し合えば解決できたかもしれないことも、だめになる。本人は、ただ溜まった不安を周囲にばらまき続け、活力を失う。周りは、機嫌をうかがい、空気を読み、地雷を踏まないように神経をすり減らし、疲れ果てる。嫌な気持ちがあり、それを変えられない無力感があり、表立って誰にも伝えられないとき、受動的攻撃性となって表れやすい。
例えば、Aさんは仲間内で収入や地位、外見などで「1番」だったとする。みんなからちやほやされる。だがある日突然、別の誰かにその地位を取って代わられる。すると、Aさんはその人を見るたびもやもやする。
プライドが傷付く。何か大切なものを奪われたような気持ちになる。そこで、その人が気にしている些細なことについて、さりげなく否定的なことを言い、満足感を得る。嫉妬しているなんてとても言えない。負けを認めるのは屈辱だ。
だから、もっと巧妙なやり方で嫉妬心を打ち消し、以前のポジションを取り戻そうとする。仲間にその人のことを悪く言う。仲間外れにするように仕向ける。悪口を煽る。
もし、あなたがそういった攻撃のターゲットになったら、一歩引いて客観的に眺めてほしい。相手の不安やコンプレックスがその背景にある。あなたのせいではない。相手の問題なのだ。

